〈鎌倉十橋〉歌ノ橋

目 次

〈鎌倉十橋〉歌ノ橋

(〈かまくらじっきょう〉うたのはし)

歌人実朝ゆかりの橋

和歌をこよなく愛した第3代将軍源実朝の逸話が残る橋です。和歌によって実朝に罪を赦された御家人が恩に報いるため建てた橋といわれています。

エリア北東
住 所鎌倉市二階堂932付近
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩20分

歌ノ橋_02

歌ノ橋。暗渠ではなく現在でも二階堂川が流れています。川はこの後滑川と合流し由比ケ浜へと注ぎます。二階堂川を遡ると永福寺、瑞泉寺、天園と水が流れる散策が楽しめます。

大歌人である第3代将軍、源実朝ゆかりの橋。鶴岡八幡宮から金沢街道を大御堂交差点を越えて杉本寺方面へと歩くと、鎌倉市立第二小学校の手前にあります。

1213年(建保元年)、和田合戦のきっかけとなった泉親平の乱に関係したとして誅殺の命が下された渋川兼守という御家人がいました。明日死刑という段になり、無実の刑を儚んだ兼守は十首の和歌を荏柄天神社に奉納しました。

これを詠んだ実朝は感心のあまり、兼守の罪を赦したそうです。感謝した兼守が恩に報いるために造った橋といわれています。

この逸話が残る『吾妻鏡』にはこんな記述も見られます。「将軍家(実朝)は和歌の道を大切にしており、感心の余り兼守の罪を赦した。兼守は無実の刑を悲しんで和歌を奉納し荏柄天神社の加護に預かり、将軍の恩を蒙った。鬼神をも感動させるのは、ただ和歌であろう。」

江戸時代の中期以降になって鎌倉は観光地として賑わうようになりました。それに伴って「七切通し」「五名水」などと名数によって名付けられることが増えました。その中のひとつが「鎌倉十橋」です。じっきょうと読みます。

現在の十橋はほとんどが何の変哲もないコンクリートの橋です。川が暗渠(あんきょ)となり形だけ残るものもあります。しかしながら、それぞれの橋には鎌倉の歴史や逸話が含まれています。それを少しでも知っておけば、鎌倉散策にあと少しの楽しみがプラスされることでしょう。

十橋の多くは鎌倉を代表する河川である滑川に架かっています。滑川は朝比奈峠を源流として十二所、浄明寺と下り、大御堂橋の上流で二階堂川と合流し、名越川、扇ガ谷川、などの小さな川を併せ、由比ケ浜に注ぐ全長約5.5kmの河川です。

地域ごとに別名で呼ばれることもあったようです。上流の胡桃川、大御堂橋の近く文覚上人屋敷跡の辺りを座禅川、本覚寺の夷堂では夷堂川、さらに下って墨売川、閻魔川などでした。

鎌倉十橋(じっきょう)は以下のとおりです。

〈鎌倉十橋〉

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