安達盛長

(あだち もりなが 1135-1200)

伊豆流人時代から頼朝に仕えた側近

 頼朝流人時代から仕えた側近。頼朝の乳母比企尼の娘である丹後内侍を妻としたことから、頼朝が伊豆蛭ヶ小島に入るとなると側に仕え、京都の情報を頼朝に伝える役目も果たした。当然の如く頼朝の挙兵に参加、頼朝が安房において再起する際には帰趨を左右した千葉常胤説得を成功させた。その後も治承・寿永の乱を頼朝の側近として戦う。現在も鎌倉の長谷に残る甘縄神明神社の辺りに屋敷があり(神社境内に石碑あり)『吾妻鏡』には頼朝が数ある御家人の中でも最も頻繁に訪れている。部下が主に食事や酒を振る舞う垸飯でも最多の回数が記録されており、頼朝にとって苦労時代を共に過ごした最も親しみのある御家人であったことが想像できる。頼家の代には幕府草創以来の宿老として十三人合議制のひとりとなり幕政を支えた。盛長は鎌倉幕府の有力御家人でありながら生涯官職についておらず、主は頼朝であり鎌倉であるという姿勢を明解に貫いている。子の景時は頼朝死後の権力争いを生き抜き、4代執権経時、5代執権時頼の外祖父として権力を握ったものの孫の泰盛の代となり霜月騒動により一族は滅びた。

『集古十種』の安達盛長。

『集古十種』の安達盛長。

関連史跡:安達盛長邸跡甘縄神明神社三嶋大社

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