安国論寺

(あんこくろんじ)

日蓮上人の激しさと、安国論寺の美しさ

大町の谷戸に建つ日蓮宗の美しいお寺さん。日蓮上人は安国論寺にある岩屋に籠って『立正安国論』を著したといわれます。山や樹々との距離感が近く、山に包まれているような気持ちになります。

エリア大町・小町
住 所鎌倉市大町4-4-18
宗 派日蓮宗
本 尊南無久遠実成本師釈迦牟尼仏
創 建1253年
開 山日蓮
拝 観9:00〜17:00(祝日以外の月曜は休み)/100円
アクセス鎌倉駅よりバス「名越」下車、徒歩5分/「鎌倉駅」下車、徒歩20分

安国論寺。山門の右手に枝垂桜があります。

安国論寺。山門の右手に枝垂桜があります。

小町の本覚寺から大町一帯は日蓮宗エリアです。本覚寺妙本寺ぼたもち寺上行寺長勝寺などがあります。ここ、安国論寺はその名のとおり、日蓮上人が籠って立正安国論を著したといわれる日蓮岩屋のあるお寺です。日蓮宗は鎌倉時代の鎌倉で興った仏教宗派ですから、鎌倉純度は非常に高いといえます。

安国論寺境内。山門をくぐると端正に設えられた参道が本堂へと続きます。

安国論寺境内。山門をくぐると端正に設えられた参道が本堂へと続きます。

日蓮上人が立正安国論を著すために籠った岩屋。

日蓮上人が立正安国論を著すために籠った岩屋。

日蓮上人は後述するように戦う人でしたが、この安国論寺は、美しく整えられた樹々と自然の谷戸が溶け合ってとても穏やかで落ち着くお寺です。自然の中に包まれているような心地よさが味わえます。

日蓮上人は1222年(貞応元年)、千葉県鴨川市で産まれました。1238年(暦仁元年)16歳の時に地元の清澄寺において出家し、比叡山、三井寺、薬師寺、高野山、仁和寺、天王寺、東寺において15年の修行を重ね、清澄寺に戻り、1253年(建長5年)、「南無妙法蓮華経」と唱え悟りを開いた(立教開宗)と言われています。

「南無」とは帰依しますの意で、「妙法蓮華経」とは法華経を指しますから、「南無妙法蓮華経」とは法華経に帰依しますという意味です。日蓮宗は法華経を信奉するとともに、他の教典や教えを信じる宗派を一切認めないのが特徴でした。元執権北条時頼に提出した有名な立正安国論でも、「地震や疫病などの災害が続くのも法華経を信じず、浄土宗などの邪教を信じているからだ」として、法華経を中心とする国家建設を説きました。

その激しさから、他宗の僧らによって鎌倉松葉カ谷の草案が焼き討ちにあったり、幕府によって伊豆に流罪となりました。1271年には腰越滝の口刑場(現 龍口寺)において処刑されかけます(ぎりぎりで助かります)。

南面窟。松葉ヶ谷法難の際、日蓮上人が身を隠したという洞窟。

南面窟。松葉ヶ谷法難の際、日蓮上人が身を隠したという洞窟。

龍口寺にある龍ノ口刑場跡。

龍口寺にある龍ノ口刑場跡。

1274年(文永11年)には山梨県南巨摩郡にある身延山を寄進されそこに久遠寺を開き、久遠寺が日蓮宗の総本山となっています。その後は久遠寺を布教の拠点として活動し、1282年(弘安5年)61歳で死去します。

こうした歴史をみると、鎌倉に残されているのは日蓮が激しく戦ったいた跡といえるかもしれません。安国論寺の岩屋に籠って立正安国論を著し、他宗を非難したことから松葉カ谷の草案が焼き討ちにあい(松葉カ谷の法難)、伊豆に流罪とされ、処刑寸前までいったのです。

松葉ヶ谷草案の場所は、鎌倉にある妙法寺、安国論寺、長勝寺のいずれかとされています。『立正安国論』は新書や文庫で多く出版されています。一読し、日蓮が戦った大町一帯の寺院を回ってみるのもよいのではないでしょうか。鎌倉散策に新たな一味が加わるかもしれません。

安国論寺本堂。御本尊、南無久遠実成本師釈迦牟尼仏が安置されています。

安国論寺本堂。御本尊、南無久遠実成本師釈迦牟尼仏が安置されています。

安国論寺のあじさい。ふりそそぐように咲いています。

安国論寺のあじさい。ふりそそぐように咲いています。

安国論寺の梅。本堂前の紅梅は本堂に掛かるようにのびていて風情たっぷり。

安国論寺の梅。本堂前の紅梅は本堂に掛かるようにのびていて風情たっぷり。

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