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人物

三宅惺

三宅惺 (みあけ さとる 1964-) 口語短歌を中心に創作 三宅惺さんは鎌倉市浄明寺在住の歌人、詩人、俳人。大学卒業後に創作活動を本格化し、昭和63年(1988年)、歌集『霧のなか』を刊行して文筆活動に入ります。平成2 …

『平家物語絵巻』の源行家(中央)。

源行家

源行家。源為義の十男。源頼朝の父 義朝とは兄弟ですから、源頼朝の叔父ということになります。以仁王とともに挙兵した源頼政の命により、以仁王の令旨を諸国の源氏に伝え、平氏打倒の決起を促しました。

葛西清重

葛西清重は現在の宮城県三陸海岸から岩手県南部にまたがる広大な領土を治めた陸奥国の大身(大規模国人領主)、戦国大名としても知られる葛西氏の祖。初代葛西清重から、豊臣秀吉によって滅ぼされた第17代当主葛西晴信に至る約350年もの間の歴史に不明な点が多いといわれています。

『絵本写宝袋武者尽』の鎌倉景政。右目を射られた場面が描かれています。

鎌倉景政

鎌倉景政(景正とも)は桓武平氏の一族。相模南部の鎌倉郡一帯を治めていました。源頼朝から遡ること3代、武神と崇められる源義家に仕え、鎌倉武士の鑑とされる程勇敢な武士でした。景政は鎌倉氏を興隆させた勇士として知られ、鎌倉氏坂ノ下の御霊神社に祀られています。景政の屋敷は鎌倉市由比ガ浜にあったといわれています。

加藤景廉

加藤景廉は源頼朝の挙兵以来の御家人として活躍し、頼朝の厚い信任を受けました。源頼朝から遡ること4代前の河内源氏の棟梁、源頼義に祖父藤原景道が仕えて以来の累代の家系でもあります。

天野遠景

天野遠景は平安末期から鎌倉初期の武将。源頼朝挙兵以来の武将として治承・寿永の乱を通じて活躍し、平氏追討の大功ある十二人のうちに選ばれた人物(1185年(文治元年)3月11日)です。鎌倉幕府の九州(鎮西)奉行である初代九州惣追補使となり、10年を過ごします。

大慈寺にある太田道灌の肖像画。

太田道灌

現在英勝寺となっている地はかつて、室町時代後期の名将、太田資長(道灌)の屋敷でした。太田道灌は通称であり、資長といいます。扇ガ谷上杉家の家宰、武蔵守護代。江戸城を築いたことでも知られる名将です。父資清とともに山内上杉家に押されていた扇ガ谷上杉家を盛り立てました。全てにおいて優れた資長(道灌)の力によって扇ガ谷上杉家は勢力を伸ばし、資長(道灌)の威信は並ぶ物のないものとなりました。

工藤茂光

工藤茂光は藤原南家の流れを汲む伊豆半島最大の勢力を持った名族。牧ノ郷を領し狩野(かのう)茂光ともいいます。狩野氏は古代から武将として活躍し現在でも伊豆地方に残ります。

江戸時代、菊池容斎の『前賢故実』に描かれた佐奈田義忠

佐奈田義忠

佐奈田義忠は三浦義明の弟、岡崎義実の嫡男。父岡崎義実は相模国大住郡岡崎を領地とし岡崎を名乗り、義忠は大住郡真田(現 神奈川県平塚市真田)を領地としたことから佐奈田(真田とも)を称しました。

岡崎義実

三浦氏の庶家、岡崎氏の祖であり、三浦義明の弟。現在の神奈川県平塚市岡崎・伊勢原市岡崎にあたる相模国大住郡岡崎を領したことから岡崎を名乗りました。

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