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駅周辺・八幡宮

鎌倉の駅周辺・八幡宮エリアにある史跡・名所を紹介します。
道元禅師顕彰碑。「只管打座」の文字が刻まれた美しい石碑。目を引きます。

道元禅師顕彰碑

曹洞宗の開祖、道元は北条時頼に招かれ鎌倉において約半年の教化を行っています。この史跡は道元禅師と鎌倉教化を顕彰しており、とても美しい石碑が建てられています。

太田道灌屋敷跡。石碑は英勝寺の道路沿いにありますからすぐにわかります。

太田道灌屋敷跡

太田道灌屋敷跡。英勝寺の地は、かつて摂津源氏の流れをくむ扇ガ谷上杉家の家宰、太田道灌の屋敷でした。室町後期を代表する名将であり、江戸城を築いたことでも知られています。

源実朝歌碑。鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館前に建ちます。

源実朝歌碑

歌人として名高い第3代将軍源実朝の歌碑は鎌倉にいくつかありますが、この石碑は関東大震災で倒壊したニノ鳥居の一部を利用した最大のものです。

問注所跡。鎌倉駅裏駅(西口)を出てまっすぐ進み、市役所前の交差点を左折、御成小学校の対面あたりにあります。

問注所跡

1184年(元暦元年)平氏追討を目前にした源頼朝は鎌倉幕府の基盤整備を進めていました。政治を司る政所に続いて、裁判を担当する問注所を設置しました。当初は頼朝の屋敷内にありましたが、第2代将軍源頼家の時代、訴訟が増えるに従ってこの地に移りました。

扇ガ谷上杉管領屋敷跡。室町時代、関東に大きな勢力を持った扇ガ谷上杉家の屋敷があった場所です。

扇ガ谷上杉管領屋敷跡

扇ガ谷上杉家の屋敷があった場所。鎌倉駅裏駅を出て、紀ノ国屋前を右折ししばらく歩きます。寿福寺の前で右折し線路を渡ったらすぐに左折し川沿いの細い道をいきます。護国寺の前あたりに石碑が見えてきます。

鎌倉十橋のひとつ、勝ノ橋。正面奥は寿福寺、左手は鎌倉駅方面、右手は英勝寺、海蔵寺、化粧坂方面です。

〈鎌倉十橋〉勝ノ橋

〈鎌倉十橋〉勝ノ橋。鎌倉の裏駅(西口)を出て、市役所交差点を右折し歩くこと10分、寿福寺の門前にあります。現在は石碑のみとなっています。

裁許橋は佐助川に架かります。直進すると六地蔵交差点。手前は市役所前交差点、鎌倉駅の方向です。

〈鎌倉十橋〉裁許橋

〈鎌倉十橋〉裁許橋。鎌倉時代の裁判所、問注所の近く、佐助川に架かる裁許橋。西行法師ゆかりの逸話から西行橋とも呼ばれます。

現在川はなく、暗渠となっています。自動販売機の前あたりに石碑があります。手前は宝戒寺、横大路方面。直進すると金沢街道を浄明寺方面へといきます。

〈鎌倉十橋〉筋替橋

〈鎌倉十橋〉筋替橋。昔の鎌倉はもっと川がよく見えたのでしょう。いまは進んだ宅地化とコンクリート舗装により川のイメージが希薄ですから、逆に流れているイメージが掴み難いです。鎌倉はもう少し川を活かしたまちづくりをしてもよいのではないかと思います。

段葛の桜並木。

段葛

段葛。源頼朝自ら指揮して造った段葛は、頼朝が描いた武家の都鎌倉の象徴的な道でした。桜並木となっており季節には見物客で賑わいます。

高浜虚子による御成小学校の看板。御成小学校の敷地には今小路西遺跡があります。奈良・平安時代の鎌倉郡の郡衙がおかれていた場所と推定され、郡衙の建物跡や733年(天平5年)と記された木簡などが出土しています。小学校の敷地内なので、当然ながら無許可で入って見物することはできません。

御成小学校の看板

御成小学校の看板。鎌倉に最初に住んだ文学者ともいわれる高浜虚子。1910年(明治43)に由比ガ浜に移り住み、没するまでの50年間を鎌倉にて過ごしました。

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