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北東

鎌倉の北東エリアにある史跡・名所を紹介します。
頼朝の墓から少し金沢街道に向かってあるけば十字路に石碑があります。

大倉幕府跡

鎌倉入りした源頼朝は大倉郷に御所を新造し、公文所、問注所も設置しここに幕府政務機能を集中させます。以後頼家、実朝と源氏3代の将軍のこの場所において政務を行いました。

〔地図⑪〕鎌倉市最高地点からの眺望。左手の白い建物はゴルフ場のクラブハウスです。自然のままならもっと素晴らしい景色と環境だったでしょう。

天園ハイキングコース

天園ハイキングコースは鶴岡八幡宮後方にある山々、鎌倉市と横浜市を隔てる天台山、大平山、鷲峰山の尾根を歩くルートです。鎌倉市の最高地点である大平山はハイキングコースの中央にあり海抜は159.2mです。他にも十王岩、百八やぐら群、獅子舞など歴史を感じる史跡とともに四季折々の自然を肌で感じることができます。

歌ノ橋。暗渠ではなく現在でも二階堂川が流れています。川はこの後滑川と合流し由比ケ浜へと注ぎます。二階堂川を遡ると永福寺、瑞泉寺、天園と水が流れる散策が楽しめます。

〈鎌倉十橋〉歌ノ橋

〈鎌倉十橋〉歌ノ橋。和歌をこよなく愛した第3代将軍源実朝の逸話が残る橋です。和歌によって実朝に罪を赦された御家人が恩に報いるため建てた橋といわれています。

三浦泰村供養塔。頼朝墓の東側に法華堂跡があり、そこにあるやぐらのひとつに供養塔があります。

三浦泰村供養塔

三浦泰村供養塔。1247年(宝治元年)鎌倉を舞台に合戦が勃発します。二大勢力であった北条と三浦が戦い、敗れた三浦一族は滅亡します。これを機に北条得宗家による専制体制が確立します。

田楽辻子の道へとゆるやかに蛇行する犬懸橋からの景観。

犬懸橋

かつて犬懸上杉家の屋敷が犬懸橋の奥にありました。山へとゆるやかに蛇行する川と道の景観にとても静かな趣があり、鎌倉らしさを感じられます。杉本寺、田楽辻子の道、報国寺と周辺には見所が多くあります。

鉄やスチールを使用した施設は建てられていません。それがまたいいのです。発掘調査のみ行って永久にそのままであってほしいものです。

北条義時の墓

「なかんづく鎌倉郡は、文治、右幕下(源頼朝)はじめて武館を構え、承久、義時朝臣天下を併呑す。武家においては、尤も吉土と謂うべきか。」 足利尊氏による室町幕府樹立宣言「建武式目」の冒頭です。

源義朝は忠臣鎌田政家と並びます。

勝長寿院跡

源頼朝が父、源義朝の菩提を弔うため1184年に建立した大寺院。源氏の菩提寺であったためその姿は壮麗極まりなく、成朝(奈良仏師)に彫らせた金色の阿弥陀仏を本尊とし、藤原為久による浄土瑞相二十五菩薩壁画が描かれ、運慶による五大尊像も安置されていたといいます。

源頼朝の墓へと登る階段の手前にある細い道を右手に入って少し進むと左手に見えてきます。頼朝の墓から山沿いにもいけます。

大江広元の墓(島津忠久、毛利季光の墓)

鎌倉幕府の基盤整備に多大な貢献を果たした貴族、大江広元の墓と伝わるやぐらがあります。階段を登るとまず大きな平場があり、ここは北条義時の墓があったといわれる場所です。平場の左手には北条氏によって滅ぼされた三浦泰村一族の墓があります。

田楽辻子の道の入口にある石碑。

文覚上人屋敷跡

岐れ道を十二所方面に少しいくと、荏柄天神社の鳥居の前あたりに大御堂の信号があります。そこを右折すると橋を越えたところに文覚上人屋敷跡があります。

ボーダーの入った外壁や大谷石が印象的な外観。全体的に保存状態は良好です。

西御門サローネ(旧里見弴邸)

西御門サローネは1926(大正15)年、当時の人気作家だった里見弴が建てた自宅。自ら設計に携わったといわれています。洋館と和館双方を供えた当時流行のスタイルによって造られています。

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