大椿寺

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大椿寺

(だいちんじ)

源頼朝、三崎三御所の一つ「椿の御所」跡に建つお寺

源頼朝が三崎に建てた三御所の一つ。「椿の御所」跡に建つお寺です。頼朝はここにあった山荘に寵愛した妾を住まわせました。庭内は椿の花に埋もれる程であったそうです。頼朝の死後、妾は旭永に大椿寺を開かせ、自身は尼となり頼朝の菩提を弔い、三十余年の余生を送りました。

エリア三浦市
住 所三浦市向ヶ崎11-1
宗 派臨済宗妙心寺派
創 建1199年
開 基妙悟尼(源頼朝の愛妾)、旭永(開山)
アクセス京急「三崎口駅」よりバス「椿の御所」下車、徒歩2分

大椿寺境内。右手は保育園になっています。ひっそりと侘しいお寺さんが好みですが、保育園の子供たちが無邪気に遊ぶ声を聞きながらの参拝もなかなかよいです。

大椿寺境内。右手は保育園になっています。ひっそりと侘しいお寺さんが好みですが、保育園の子供たちが無邪気に遊ぶ声を聞きながらの参拝もなかなかよいです。

水軍の拠点であり古来から愛された風光明媚の地、三崎

三浦半島の最西南端に位置する三崎は古来から知られた風光明媚の地です。平安以来、戦国時代に三浦義同が後北条氏に攻め滅ぼされるまで約450年もの間、三浦一族が治めました。その後、後北条氏が入り対岸の里見氏に対する備えとし、江戸時代には徳川の水軍奉行向井政綱が治め徳川水軍の拠点となりました。

源頼朝と三崎の三御所

鎌倉にある源頼朝大倉御所から三崎へは国道134号を下り約28km、海里にして6里(約24km)。歩いていくと朝出て夕方には到着する距離ですから、別荘としてはとても使い勝手がよかったでしょう。

源頼朝は三崎に3つの御所をつくったと伝わります。椿の御所、桃の御所、桜の御所の三御所です。三崎の三御所と呼ばれています。椿の御所は北条湾を挟んで大浦側にある現在、大椿寺となっている場所にあったといわれています。桃の御所は相模湾側、歌舞島と呼ばれた付近、現在の見桃寺にあたります。桜の御所はその中間、現在本瑞寺となっている場所にあったそうです。

源頼朝が愛妾の山荘

源頼朝はここに寵愛した妾の山荘を建てており、これが前述の三崎三御所の一つ「椿の御所」です。邸内は椿がたくさん植えられ、椿の花に埋まる程であったといいます。妾は頼朝没後に尼となり妙悟尼と名乗り頼朝の菩提をなぐさめつつ、三十余年の余生を過ごしたそうです。

『吾妻鏡』に登場する三崎御所

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも三崎御所の記述が幾度もあらわれます。いくつか抜粋します。

1194年(建久5年)閏8月1日「頼朝は一条高能を伴って三浦に渡った。三崎の津に山荘を建てるためである。足利義兼、北条時政以下多くの御家人が従い巷に溢れたという。頼家、政子、大姫らも追って訪れた。」

同年9月6日「頼朝は三浦三崎の別荘を訪れた。小笠懸の勝負が行われた。」

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