第2回 中津宮

(なかつみや)

第1回は江ノ電「江ノ島駅」から辺津宮参拝までをこなし、今回は辺津宮を出て中津宮参拝までです。中津宮は853年(仁寿3年)、最澄や空海とともに入唐した入唐八家のひとり、慈覚大師 円仁(えんにん・794-864)が江ノ島岩屋において弁財天のお告げを受けて建立しました。展望や周辺の歌碑、八坂神社も見逃せません。

江島神社、中津宮。1996年(平成8年)に改修され、鮮やかな朱色が蘇りました。

江島神社、中津宮。1996年(平成8年)に改修され、鮮やかな朱色が蘇りました。

第2回 中津宮

中津宮

辺津宮の後は末社の八坂神社、稲荷社、秋葉社をみつつ中津宮に向かいます。道々には縁結びの大銀杏「むすびの樹」、「沼田頼輔の歌碑」、源実朝の命を受けて宋に渡った良真が持ち帰った「宋の古碑」、「銭洗白龍王」、幕末期に藤沢に住んだ儒学者、阿部石年の「猿田彦大神の石碑」など様々な史跡があります。

八坂神社は、健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祀ります。江戸時代は天王社でした。「天王」は欲界の最下級の天を統率する四天王、帝釈天、大梵天など多くの天人を統率する天人であり、別称牛頭天王。須達(しゅだつ)長者が釈迦に寄進した寺である祇園精舎(インド)の守護神です。奈良時代から始まった神仏習合により、須佐之男命は牛頭天王の化身とされました。そのため八坂神社の総本山、京都の八坂神社も元々は祇園社と呼ばれました。

江ノ島の天王社は、1873年(明治6年)廃仏毀釈により数多くの仏教関連施設や貴重な史跡が破壊される中、八坂神社に改称されました。現在の社殿は2001年(平成14年)に改築されたものです。

毎年7月14日に近い日曜日に行われる「江の島天王祭」は神奈川の祭り50選となっているなかなか大きなお祭りです。夫婦神である対岸の腰越にある小動神社に一年に一度会いに行くため、江ノ島大橋近くから神輿が海に入り、小動神社に向かいます。祇園祭や天王祭という名をよく聞きますが、これはみな牛頭天王を祀っており陰暦6月15日頃に行われます。

一本の幹が二股にわかれた大銀杏、「むすびの樹」の背後あたりからは境川から表参道が見渡せます。さらに少し進むと階段からは島の東側と海がみえる展望ポイントがあり、海と対岸がきれいです。ただ、後者は神の島をヨット競技のために埋め立てた土地がほとんどなのが残念。

源実朝ゆかりの「宋の古碑」は、1204年(元久元年)に源実朝の命を受けて宋に渡った良真が、宋の慶仁禅師より伝えられたという石碑です。「大日本国江島霊迹建寺之記」と彫られているそうですが、摩滅して読むことはできませんでした。1701年(元禄14年)に杉山検校の門弟により雨よけが寄進されました。

その後は、朱色が鮮やかな中津宮(なかつみや)です。かつて中津宮の前には楼門があり妙音弁財天像が安置されていましたが、明治の廃仏毀釈によって破壊されてしまいました。

中津宮は当初上之宮と呼ばれていました。853年(仁寿3年)、最澄や空海とともに入唐した入唐八家のひとり、慈覚大師 円仁(えんにん・794-864)が江ノ島岩屋において弁財天のお告げを受けて建立しました。1549年(天文18年)後北条の北条氏綱により修復され、1689年(元禄2年)に再建。1996年(平成8年)には基礎補修や彫刻の復元などが行われ1689年(元禄2年)の造りを再現しました。明治の廃仏毀釈以降は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を祀ります。

中津宮近くには水琴窟(すいきんくつ)があります、水琴窟とは日本庭園の技法の一つで、洞窟内に水滴を落とした時に発する反響音を庭園内で楽しむものです。手水鉢の下に龜などを埋めて音を出します。

(第3回「奥津宮、山二つ」に続く)

第1回江ノ電「江ノ島駅」~表参道~辺津宮
第2回中津宮
第3回奥津宮、山二つ
第4回稚児ケ淵、岩屋
第5回江ノ島 神仏の変遷、廃仏毀釈

江ノ島/江島神社 第2回(全5回)フォトギャラリー

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