江ノ島の悲劇

参拝客で賑わう江戸時代の江ノ島。1873年(明治6年)の廃仏毀釈や埋め立てのない、本来の霊場 江ノ島の姿。相州江之島弁財天開帳参詣群衆、歌川広重、19世紀。画像提供:東京国立博物館

参拝客で賑わう江戸時代の江ノ島。1873年(明治6年)の廃仏毀釈や埋め立てのない、本来の霊場 江ノ島の姿。相州江之島弁財天開帳参詣群衆、歌川広重、19世紀。画像提供:東京国立博物館

19世紀、江戸時代に歌川広重が描いた江ノ島の姿です。霊場江ノ島、そして弁天様を目指して沢山の人が浜を進んでいます。
(詳しくは全5回の江ノ島記事をみていただくとして)、霊場江ノ島の歴史は1450年にも及びます。その長い歴史において、1873年(明治6年)、1964年(昭和39年)というごくごく最近、霊場はすっかり変えられてしまいました。

1873年(明治6年)は明治維新に伴う神仏分離と廃仏毀釈、1964年(昭和39年)は東京オリンピックです。

廃仏毀釈は時代の大きな流れとして致し方ないのかもしれません(それでも、仏教施設を破壊したことは悲しい事実)。しかし、東京オリンピックは単なる悲劇。なにか許せない気持ちにさえなります。東京オリンピックのヨット競技会場にするために、島の面積を1.5倍にするような大掛かりな埋立が行われたのですから。ヨットもオリンピックも立派ですし、ヨットを楽しむのも自由ですが、なぜ1500年の霊場を埋め立てるのか?

ヨット競技のためとは酔狂すぎるだろう、侵蝕防止など霊場を守るための大きな理由があるのでは?と裏をとる意味もあって関係の各所に問い合わせてみると、なんとやはり埋立の理由はほぼヨット競技開催のためだそうです。

昔、土建屋さんのCMに「地図に残る仕事」なんてコピーがありました。地図に残る仕事を本当にしたいなら、江ノ島を元に戻してもらいたいものです。

悲しい出来事を歴史に刻んだ江ノ島。しかしそれでもまだ逞しい自然の姿が残っています。埋立地を撤去、コンクリートの醜い橋もなくして徹底的に歌川広重の描いた絵のままにしたら、江ノ島は日本随一の名所になるだろうと夢見てしまいます。

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