藤原仲能の墓

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藤原仲能の墓

宗尊親王の命を受けて海蔵寺を創建

鎌倉幕府の重臣として活躍した人物。宗尊親王の命を受けて海蔵寺を創建し、この場所に墓があったと伝えられます。

エリア源氏山公園
住 所鎌倉市梶原5−9−1(葛原岡神社前、鳥居を正面に右手。住所は葛原岡神社)
アクセス「鎌倉駅」西口より徒歩25分

源氏山にある藤原仲能の墓の石碑。撮影者の立っている方向に葛原岡神社があり、左手は葛原岡・大仏ハイキングコース(浄智寺方面)、右手は源頼朝像や化粧坂です。

源氏山にある藤原仲能の墓の石碑。撮影者の立っている方向に葛原岡神社があり、左手は葛原岡・大仏ハイキングコース(浄智寺方面)、右手は源頼朝像化粧坂です。

藤原仲能(なかよし)は、第5代将軍藤原頼嗣が京に送還された後、皇族で初めて将軍として迎えられた第6代将軍宗尊親王の命を受けて、海蔵寺を創建したと海蔵寺略縁起に記録のある人物。鎌倉幕府の重臣として評定衆もつとめています。

1256年(建長8年)12月9日に亡くなりました。位牌が海蔵寺に現存し、ちょうど海蔵寺の裏山にあたる源氏山、葛原岡神社の手前に藤原仲能の墓跡の石碑が残ります。

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