畠山城址

目 次

畠山城址

(はたけやまじょうし)

治承4年、激動の一舞台、畠山重忠が搦手の陣を敷いた場所

1180年(治承4年)8月、源頼朝挙兵にともなって、三浦義明の籠る衣笠城を攻めた畠山重忠はこの場所に搦手の本陣をおきました。日本の歴史が大きく動いた激動の治承4年、葉山の小さな山もまたその一つの舞台でした。

畠山城址。834年前、日本の歴史が大きく動いた治承4年、激動の舞台です。

畠山城址。834年前、日本の歴史が大きく動いた治承4年、激動の舞台です。

エリア逗子・葉山
住 所神奈川県三浦郡葉山町木古庭
アクセスJR「逗子駅」よりバス「木古庭」もしくは「不動橋」下車
JR「衣笠駅」よりバス「木古庭」もしくは「不動橋」下車

名将 畠山重忠の史跡

「頼朝の運命はすでにつきた。千万をいとおしみ、大名・高家に惑わされず畠山重忠を持って日本国を鎮護すべし」。これが稀代の鬼武者、源頼朝の遺言です。この遺言からは源頼朝が徹底した武と義の人であったことが伺われます。そして、この畠山重忠が衣笠城合戦において陣を敷いた場所がこの畠山城址です。

冒頭から若干話がそれますが、「源頼朝は冷徹なだけの政治家」などという安易なイメージは鎌倉の魅力を味わうためには大きな損失です。頼朝は日本一恐ろしい東国の荒くれ武者を叱りつけ、野の鹿を素手で押さえつける武の人です。自身の幼名である鬼武者そのものといっていいでしょう。

安直な判官贔屓も手伝ってよく頼朝に使われる「冷徹な政治家」は悪いイメージの怜悧冷徹でしょう。他人の力を上手に使って人を残酷に蹴落としていくという感じでしょうか。しかし、これなら該当者は北条政子です。自分は一切戦場には赴かず、周囲の優秀な武将の力を笠に着て権力を追求したのですから。

1180年(治承4年)8月17日、源頼朝は挙兵します。伊豆国目代山木兼隆を討ち取り、石橋山において大庭景親率いる平氏勢と対峙し、合戦に及ぶも敗れてしまいます。頼朝の元へと向かっていた三浦一族は、石橋山の敗戦を聞き居城である衣笠城(現 神奈川県横須賀市衣笠町)に籠ります。

冒頭のように、源頼朝が最も頼りにした伝説の名将、畠山重忠でしたが源頼朝挙兵当初は父重能が大番役として京都にいたことから、17歳の重忠は平氏方として出陣し、母方の祖父であった三浦義明が籠る衣笠城を攻めます。

標高208メートル、鬱蒼とした尾根道を登る

畠山城址は、この時畠山重忠が搦手の陣を敷いた場所です。現在の神奈川県三浦郡葉山町木古庭の北端の山中、小字大沢谷にあり標高は208メートルです。畠山重保の城跡とか逸見五郎の居城などともいわれています。

山に登る道は4つほどありますが、メインはやはり衣笠城方面(葉山木古庭からの)2本の道。山の麓には木戸ケ谷、水あげ場などの地名が残っています。ちょうど畠山城址の反対側にある山の中には畠山重忠ゆかり不動堂があります。

おすすめは、不動橋バス停近くにある馬頭観音に旅の安全を祈り、尾根沿いの道をぐるっとまわるコースです。木古庭会館の裏手から八丁坂を登り、畠山城址を見たらショートカットの旧軍用道路を使わず、少し遠回りですが、尾根沿いに進み大谷戸橋に出て、本圓寺にお参りして帰ります。

登り道は900m程であり40分かからずに登れますからさほどの重装備は必要なく、動きやすい格好に運動靴程度で問題ありません。ただし、尾根道は部分的に崖っぷちの細い道が続きますからある程度の注意は必要です。筆者は仕事柄集中したいため一人でゆきますが、できれば二人以上でゆっくり山の空気を楽しみながらいくのがよいと思います。

この辺りの山は標高が低いものの、林業がほとんど行われていないためかなり鬱蒼とした雑木林です。初夏などは元々狭い尾根道に、元気よく成長したちょうど足元から目の高さ程度の草木が覆いかぶさってきます。これに気を取られて狭い尾根道で足を滑らせるのが一番の危険ですからご注意ください。

道には道標がたてらていますから、迷うことはないと思います。ただし、畠山城址をこえて一か所だけ案内のない分かれ道があります。その場所は地図と写真にて掲載しました。

畠山重忠が陣を敷いた畠山城址から、三浦義明の籠る衣笠城までは直線距離で約4km。現在残る道を歩くと山道を入れて約5.5km、畠山、大楠山と衣笠城趾はいまでも繋がっています。大楠山登山口から阿部倉を抜け横浜横須賀道路沿いの山道を歩いて2時間程の距離感です。昔はこのような距離感で小山を選んで陣を敷いたのだと歴史に思いを馳せます。

また、この辺りは鎌倉に入るための主要な旧道であったようです。鎌倉入りする途中の日蓮が法力によって湧水させた高祖井戸や馬頭観音などがあります。

畠山城址地図

畠山城址の地図

畠山城址の地図

畠山城址フォトギャラリー

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

寺と神社

前の記事

導地蔵
史跡

次の記事

高祖井戸