平賀義信

(ひらが よしのぶ 1143-1207?)

頼朝とともに平治の乱を戦った源氏門葉の重鎮

 源義光の4男盛義の子。武蔵守。源氏の重鎮として活躍した。信濃国佐久郡平賀郷(現 長野県佐久市)を本拠とし、平治の乱には源義朝とともに出陣。敗れた義朝、頼朝とともに落ち延びた7人のうちの一人。鎌倉成立後も頼朝の信頼厚く、源氏門葉として御家人筆頭の座にあった。頼朝の父義朝の菩提を弔った勝長寿院の遺骨葬送においては平賀義信と子の惟義、源頼隆の3名のみが近侍を許されている。頼朝の乳母比企尼の娘を妻とし源頼家の乳母夫でありながら、子の平賀朝雅は北条時政の婿となり、比企能員の変後も勢力を維持し実朝の元服においては烏帽子親を務めた。子の大内惟義も相模守となる他、近畿6か国の守護として在京御家人の代表を務めるなど活躍した。

明治時代、菊池容斎により描かれた平賀義信。

明治時代、菊池容斎により描かれた平賀義信。

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