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鎌倉幕府滅亡

承久の乱では朝廷の倒幕軍を返り討ちにした鎌倉は、後醍醐天皇による倒幕計画も二度までは防ぎましたがいよいよ最後を迎えます。新田義貞らに攻められ、東勝寺において北条一族は滅亡します。

鎌倉幕府陥落、北条一族滅亡。

和暦 西暦 天皇/将軍/執権 日付 鎌倉の動向
元享4年 1324年 後醍醐/ 守邦親王/高時 9月23日 正中の変。倒幕計画発覚。後醍醐天皇は勅使を派遣して鎌倉幕府に釈明する。計画に参加した日野資朝・俊基は鎌倉に護送される。
嘉暦元年 1326年 後醍醐/ 守邦親王/守時 3月16日 北条貞顕(金沢貞顕)が執権に就任。
4月24日 北条守時(赤橋守時)が執権に就任。
元弘元年 1331年 後醍醐/ 守邦親王/守時 5月5日 元弘の変。後醍醐天皇の倒幕計画が吉田定房の密告により発覚。後醍醐天皇らは挙兵に及ぶが敗れ、後醍醐は隠岐に配流、日野資朝・俊基は処刑された。
8月6日 権勢を振るう北条得宗家の家来である御内人、長崎高資に対して、北条高時は討伐を計るが失敗した。
元弘3年 1333年 後醍醐/ 守邦親王/守時 5月22日 鎌倉幕府滅亡。新田義貞らは極楽寺、化粧坂、山内の三方から鎌倉を攻撃。一旦は新田軍を跳ね返すも稲村ケ崎を越えて突入され、北条高時と北条一族は東勝寺にて自害。
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