景清窟

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景清窟

(かげきよくつ)

伝説の「悪七兵衛」

勇猛な武将として歌舞伎や能に登場する平氏方の武将、藤原景清が幽閉されたと伝わります。

エリア源氏山公園
住 所鎌倉市扇ガ谷4-16付近
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分

藤原景清が幽閉された牢の跡といわれる、景清窟。

藤原景清が幽閉された牢の跡といわれる、景清窟。

海蔵寺の手前から化粧坂に向かう道の角、頭上に崖を削ったような場所がありそこに石塔があります。これは景清窟と呼ばれ、治承・寿永の乱において平氏方として活躍した藤原(平)景清が閉じ込められた牢の跡といわれています。

藤原景清は勇猛な武将として「悪七兵衛」の異名を持ち、能や謡曲、歌舞伎や浄瑠璃などに登場します。景清産湯伝説が茨城県石岡市に、景清屋敷は同地や愛知県、三重県などに、景清ノ墓が鹿児島、景清寺が新潟県など景清伝説は全国各地にあります。

父の藤原忠清は平氏の侍大将として活躍し、吾妻鏡にも記述が登場します。兄の忠光は1192年(建久3年)1月21日、源頼朝を暗殺しようと永福寺の建設現場に紛れ込むが捕らえられ打ち首にされます。

景清は1195年(建久6年)東大寺大仏殿の落慶供養のため上洛した頼朝を暗殺しようとして捕らえられ鎌倉まで護送されたとも、壇ノ浦の戦いに敗れて捕らえられたともいわれています。

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