梶原景時太刀洗水

(かじわらかげときたちあらいすい)

上総介広常を討った梶原景時が太刀を洗った名水

1183年、関東の最有力御家人上総介広常は太刀洗水の近くにあった屋敷で梶原景時に討たれます。頼朝に対して下馬の礼をとらなかったからとか、関東独立の志があったなどその理由は諸説あります。朝比奈切通しへと向かう途中にあります。

エリア浄明寺・十二所
住 所鎌倉市十二所
アクセス 鎌倉駅よりバス「十二所神社」下車、徒歩10分

現在も湧き出る鎌倉五名水のひとつです。梶原景時が上総介広常を誅殺した後、この湧水で太刀を洗ったといわれています。

1183年(寿永2年)謀反の疑いをかけられた広常は、誅殺の命を受けた梶原景時によって双六に興じている最中に殺されます。

広常誅殺の現場となった広常の屋敷は太刀洗水の少し先、「朝比奈切通し」と看板のある三郎の滝付近の台場にあったといわれています。

梶原景時の屋敷は金沢街道を鎌倉駅方面に戻り、明王院の手前を左に入り鎌倉グリーンテニスクラブを越えて奥に入って行ったあたりにあります。広常を討った景時は太刀洗水で刀を洗い、この道を屋敷へと戻ったのでしょうか。

誅殺された広常の鎧から頼朝の武運を祈る願文が見つかったことから、これを後悔した頼朝は千葉常胤預かりとなっていた一族を即座に赦免したといいます。

広常誅殺について上洛して後白河法皇と会った頼朝が以下のように語ったと『愚管抄』に記述があります。

「わたくしは朝廷・皇室のためを思い、君に変わったことが起これば、少しの私心もなくわが身をかえてもと存じておりますが、それはわたくしが(上総)介八郎広常を討ちとりましたことによっても明らかでございます。広常という者は、東国きっても有力者でございました。このわたくし頼朝が旗挙げをして君の御敵をしりぞけようとし勝つことができましたのは、はじめに広常を呼び出して味方に加えましたからこそできたことでございました。したがって広常は私にとっては功績のある者でございましたが、ややもすると、『いったい、頼朝はなんの理由で朝廷や皇室のことばかりみっともないくらいに気にするのだ。ただわれわれが関東でやりたいようにやっていこうというのを、いったい誰が引っぱったり動かしたりできるというのか』などと申すような、謀反の心を持つ者でございましたので、こんな者を郎従としていれば、頼朝まで神仏の加護を失うことになると思い、広常を殺したのでございます」(『愚管抄』慈円/大隈和雄訳、講談社学術文庫)

スポンサー広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です