巨福呂坂

(こぶくろざか)

北条執権政治の拓いた山内(北鎌倉)

雪ノ下と山ノ内を通します。第3代執権、北条泰時によって造られたといわれます。巨福呂坂により現在の山ノ内方面が発展し、建長寺、円覚寺、浄智寺など、鎌倉幕府(北条執権政治)の力を象徴するような大寺院が建てられていきました。

巨福呂坂。

巨福呂坂。

エリア北鎌倉
住 所鎌倉市山ノ内
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩17分。もしくは「鎌倉駅」下車、徒歩20分

鎌倉時代、鎌倉の四境は六浦(東)、小坪(南)、稲村(西)、山内(北)でした。この内、北の山内が現在の山ノ内、北鎌倉方面を指しています。鎌倉の北境である山ノ内と鎌倉市中を繋ぐ道を巨福呂坂といいます。開発により自然が破壊され、はっきりとしたことはわからないようですが、建長寺あたりから鎌倉市中へと繋がる峠道ということと考えられます。一般に、巨福呂坂旧道といわれている道がありますが、一部が私有地となり住宅が建てられてるため、通ることができません。

現在通ることのできる巨福呂坂は巨福呂坂洞門の開通により、交通量の多い車道となっています。車が鬱陶しく歩道が部分的に狭いのが残念です。トンネルの形状としては、古道の雰囲気を出すように小細工がなされていますが、どうみても単なる近代建築のトンネルであり、見た目で簡単に楽しむことはできません。歴史の物語を頭に入れ、承久の乱後、京を圧倒していく武家政権繁栄の一端をここに垣間見るというような楽しみ方しかないようです。もっとも、そもそもこの楽しみ方ができないと「鎌倉」の醍醐味は味わえませんけれど。



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