小動神社

(こゆるぎじんじゃ)

佐々木盛綱が感動した風光明媚

腰越駅のすぐ近く、海に突き出た爽やかな小動山に建つ小動神社。かつて風なくても美しくゆらぐ松があったことから小動(こゆるぎ)と名がついたという風情ある場所です。源頼朝に使えた佐々木盛綱が1185年に創建しました。

エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市腰越2-9-12
主祭神健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、歳徳神(としがみ)
創 建1185年

小動神社本殿。

小動神社本殿。

「小動」と書いて「こゆるぎ」と読みます。江ノ電腰越駅徒歩すぐ、小動山に建つお社です。腰越駅で降りれば近いですが、余裕があれば稲村ケ崎で降りて、新田義貞の徒歩伝説がある稲村ケ崎海浜公園を散策して、海沿いを歩いて行くのも気持ちのよいルートです。小動神社直行なら、腰越駅周辺には5、6つのお寺さんが固まっていますから、それらを回って、最後は日蓮宗霊跡本山・龍口寺を参拝とすれば、帰路は江ノ電だけでなく小田急も使えます。

さて、小動神社を創建したのは近江の宇多源氏佐々木氏の武将、佐々木盛綱です。源頼朝の伊豆流人時代から仕えた頼朝古参の家来のひとりであり、源平合戦でも平行盛を討つ等活躍しました。凱旋した盛綱は故郷近江の守護神、八王子宮を小動の地に勧請しました。江之島弁財天参詣の途中、小動山の風光を大いに気に入ったため、この地に勧請したと伝えられています。

左には稲村ケ崎と七里ケ浜の海岸、右には江之島と富士山。いまでもとても良い景色ですが、830年前佐々木盛綱が感動したという景色はいまとは比べ物にならない美しさだったでしょう。無粋な自動車やコンクリートの道や近代建築もなく、埋め立てられていない海岸線は現在よりももっと広くて豊かだったことでしょう。煩くて無粋な車の通る海沿いの道路だけでもやめてもらえればもっときれいで静かになるのになあ、といつも思います。

その後、時代は下って鎌倉末期。北条討伐の鎌倉攻めを行った新田義貞は小動神社に戦勝を祈願し、勝利の後、そのお礼として剣一振と黄金を寄進し社殿は新たに再興されたそうです。

国道沿いにある鳥居をくぐると心地よい長さの参道があり、階段を上ったところに本殿があります。本殿の他、金刀比羅宮(ことひらぐう)や稲荷社、海神社(わたつみじんじゃ)、大六天王などがあり、展望台からは江之島を近くに望むことができます。小動神社に立った時に感じる、海に囲まれた抜けの良い爽やかさと歴史の味わい深さは鎌倉らしい魅力といえるかもしれません。

金刀比羅宮は大物主神(おおものぬしのかみ)、別名・大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭神とし、航海の安全や海難救助を司る神様です。別名、海神竜王ともいいます。稲荷社は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を主祭神に、佐田彦神(さたひこかみ)、大宮能売神(おおみやのめかみ)を併神とし、商売繁盛、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達の神です。

海神社は綿津見神(わたつみのかみ/別名 船玉神:ふなたまのかみ)をお祀りするお社で、漁業の神、航海の神です。大六天社は、第六天神(だいろくてんじん)を祭神とした諸願成就の神です。

小動神社のある小動山の下は小動岬といわれ、東大生だった太宰治が、銀座のカフェの店員であった19歳の田辺あつみと心中事件を起こした場所としても有名です。太宰はじめての心中事件です。は助かりましたが、田辺あつみは死んでしまいました。その際太宰が担ぎ込まれた恵風園はいまでは恵風園胃腸病院として同じ場所にいまも残っています。この時の経験は後に『道化の華』という作品となっています。

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