問注所跡

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問注所跡

(もんちゅうじょあと)

源頼朝の鎌倉幕府基盤整備のひとつ

1184年(元暦元年)平氏追討を目前にした源頼朝は鎌倉幕府の基盤整備を進めていました。政治を司る政所に続いて、裁判を担当する問注所を設置しました。当初は頼朝の屋敷内にありましたが、第2代将軍源頼家の時代、訴訟が増えるに従ってこの地に移りました。

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市御成町8(御成小学校の対面)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩5分

問注所跡。鎌倉駅裏駅(西口)を出てまっすぐ進み、市役所前の交差点を左折、御成小学校の対面あたりにあります。

問注所跡。鎌倉駅裏駅(西口)を出てまっすぐ進み、市役所前の交差点を左折、御成小学校の対面あたりにあります。

鎌倉幕府の裁判機関として政所に続いて源頼朝が1184年(元暦元年)に設置しました。頼朝の伊豆配流時代から助力を惜しまなかった三善康信が執事となり、以後三善氏の一族が執事を世襲しました。

当初は源頼朝の屋敷である大倉幕府内にありましたが、第2代将軍源頼家の時代に現在石碑が設置されている御成小学校前の地に移設されました。問注所跡の前を通る道はかつて今大路と呼ばれ、化粧坂から長谷大路までをつなぎました。

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