名越切通し

(なごえきりどおし)

往時を偲ぶ古道

13世紀前半に整備された鎌倉時代の要路、名越切通しは鎌倉と三浦半島を結びます。往時の姿をとどめる貴重な史跡であり、大切岸やまんだら堂やぐらなど見所も多くあります。

エリア大町・小町
住 所鎌倉市大町~逗子市久木
アクセス「鎌倉駅」よりバス「長勝寺」下車、徒歩8分(名越坂付近の出入口)

名越切通し_01

中程にある名越切通しがもっとも狭隘になる場所、第一切通し。1.5m程しかなく、すれ違えないくらい狭いです。かつては3mほどあり、地震などにより徐々に狭くなったようです。

宅地化した鎌倉にとってとても貴重な史跡。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも名越坂として記された鎌倉から逗子、三浦半島へと通じる古道です。7つある切通しの中で往時の姿をとどめているのは朝比奈切通し大仏切通し、釈迦堂口切通し(現在通行止め)、そして名越切通しです。

13世紀前半になると鎌倉の発展に伴って人や物資の流通量が増え、山に囲まれた鎌倉の道路整備が進められました。防衛拠点としての機能もさることながら、都市の基盤整備という面も強くあったといわれます。

名越切通しは鎌倉と三浦半島を結ぶ重要な路であり、現在でも防衛のための切岸や平場、葬送のためのやぐらや火葬跡などの遺構が多く残っています。『吾妻鏡』には1233年(天福元年)8月18日の項に「名越坂」として初めて登場しますが、記述の内容からいってこれ以前に存在していたと思われます。

調査によって発掘された掘り下げられた名越切通し、第一切通しの地層からの出土品は古いもので江戸時代といいますから、その頃にも整地や修復が行われていたことがわかります。

室町時代の僧堯恵の『北国紀行』には「畳々たる巌をきり、山をうがち、旧跡の雲につらなる」と書かれており、室町~江戸においても主要な道路として使用されていたようです。(この辺りの説明は逗子市教育委員会設置の看板がありますので、お見逃しなく)

1883年(明治16年)にトンネルが造られ、1889年(明治22年)に横須賀線が開通するまで幹線道路として活躍し続けました。

名越切通しは多くの出入口を持ち、鎌倉市と逗子市にまたがるとても広い範囲に渡っています。鎌倉側は大町口、逗子側は法性寺口、小坪階段口、亀が岡団地口、ハイランド口と5つの出入口があります。

どのルートも魅力がありますが、その昔、日蓮聖人が松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちされた際、難を逃れたといわれる大町口から法性寺口に抜けるルートは大切岸も見る事ができるおすすめのルートです。

1時間もあれば十分ですし早い時間の方が清々しいですから逗子側の法性寺口から入り大町口から出て、後は鎌倉散策というのもよいと思います。

古道を歩くだけでも素晴らしい時間が持てますが、大きな見所となるとまんだら堂やぐら群と大切岸です。まんだら堂やぐら群は、中世のやぐらが無数に集まった場所です。火葬や墓所として使用されていました。平成13、14年度の逗子市による発掘調査により鎌倉時代の後半、13世紀末頃から平場の造成とやぐらの掘削が行われ、室町時代中期まで供養などが行われていたことがわかっています。現在は時期により臨時公開されます。

逗子市は名越切通しの保全・整備・活用をすすめています。今年2013年には閉鎖されていたまんだら堂やぐら群の期間限定公開など徐々に活用が進んでおり、今後の展開がとても楽しみです。(詳しくは下記関連リンクから逗子市の情報をご覧ください)

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