御成小学校の看板

最も鎌倉を愛した俳人、高浜虚子の筆

鎌倉に最初に住んだ文学者ともいわれる高浜虚子。1910年(明治43)に由比ガ浜に移り住み、没するまでの50年間を鎌倉にて過ごしました。

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市御成町19-1
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩3分

御成小学校看板_01

高浜虚子による御成小学校の看板。御成小学校の敷地には今小路西遺跡があります。奈良・平安時代の鎌倉郡の郡衙がおかれていた場所と推定され、郡衙の建物跡や733年(天平5年)と記された木簡などが出土しています。小学校の敷地内なので、当然ながら無許可で入って見物することはできません。

鎌倉市立御成小学校の看板は、高浜虚子の筆によるものです。この前を歩くと素通りできずにいつもみとれてしまいます。

鎌倉に最初に住んだ文学者といわれる高浜虚子。正岡子規に師事しホトトギスの会を受け継いだ日本を代表する俳人です。1910年(明治43年)子供の健康のために由比ガ浜に移り没年までの50年近くを過ごしました。

1874年(明治7年)愛媛県に生まれた虚子は中学時代の同級、河東碧梧桐の縁で正岡子規に師事します。1897年(明治30年)、「ホトトギス」創刊に師匠・正岡子規とともに参加し、翌年には虚子が「ホトトギス」を受け継ぎ俳句文芸誌として発展させ、夏目漱石の「吾輩は猫である」なども掲載しました。

長谷の老舗旅館、對僊閣でも虚子がホトトギスの句会を開いたとのことです。

對僊閣について

スポンサー広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です