来迎寺(材木座)

(らいこうじ)

源頼朝が三浦義明のために建立

源義朝、頼朝親子を支えた三浦の名将三浦義明ゆかりのお寺さんです。義明は三浦荘の在庁官人として現在の三浦地域に勢力を持ち、頼朝挙兵時にはいち早く一族を挙げて支援しました。

エリア由比ヶ浜・材木座
住 所鎌倉市材木座2-9-19
宗 派時宗
本 尊阿弥陀三尊像
創 建1194年(能蔵寺)
開 山音阿
アクセス鎌倉駅よりバス「五所神社」下車、徒歩3分

源頼朝が1194年に三浦大介義明の武功を讃えるとともにその冥福を祈って建立した能蔵寺が来迎寺の前身です。境内には義明の墓と臣下である多々良三郎重春の墓があります。能蔵寺は開山の音阿が時宗に帰依し来迎寺と改められました。

三浦義明は代々三浦介として現在の三浦市を中心として勢力を持っていた武将です。源頼朝の挙兵にいち早く協力しただけでなく、頼朝の父、義朝との関わりも深く、鎌倉を拠点にした義朝の相模国支配の後ろ盾ともなりました。義明の娘の一人は義朝の側室となっています。

1180年(治承4年)義朝の遺児である頼朝が挙兵すると、いち早く呼応し居城の衣笠城を出撃しますが、不幸にも頼朝が石橋山の戦いにおいて敗戦したため衣笠城にろう城しました。

後に頼朝の有力御家人となる畠山重忠率いる平家勢に取り囲まれた衣笠城は落城してしまいます。89歳になっていた義明は子の義澄以下の一族を城から逃がした後、ひとり城に残って奮戦し、戦死しました。

自分一人となっても戦い抜いた気骨の人、義明の意志を継ぐように子供たちは源平合戦、鎌倉幕府の設立と活躍しています。長男の杉本義宗は和田氏の祖となり、次男の義澄は三浦氏を継ぎました。三浦義明の墓とされているのは他に横須賀市の滿昌寺があります。

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