目 次

鎌倉あじさい見物 大町〜名越〜逗子

〈あじさい〉鎌倉 あじさい見物 大町〜名越〜逗子

あじさい見物にかけて、日蓮法難の古道(名越切通し)を辿ります。鎌倉駅から出発し、最後は逗子駅に至るなかなかに歩きがいのあるルートです。あじさいは古来から鎌倉に咲いていましたから、既存の宗派と闘い布教に尽くした日蓮もまた同じあじさいを眺めたことだろうと想像を巡らせます。時間がなかったり、脚に自信がなければ安国論寺までで引き返してください。

見所

本覚寺(あじさい)(基本情報)、妙本寺(あじさい)(基本情報)、安国論寺(あじさい)(基本情報)名越切通し法性寺
道々の名所/寄り道処
大巧寺夷堂橋常栄寺(ぼたもち寺)八雲神社(大町)別願寺上行寺安養院長勝寺日蓮乞水岩殿寺
順路

鎌倉駅〜本覚寺〜妙本寺〜安国論寺〜名越切通し〜法性寺〜逗子駅/新逗子駅

各見所間の距離と所要時間の目安
鎌倉駅〜本覚寺:400m/5分
本覚寺〜妙本寺:300m/4分
妙本寺〜安国論寺:900m/12分
安国論寺〜名越切通し(大町口):750m/11分
名越切通し(大町口)〜名越切通し(法性寺口):500m/30分
法性寺〜JR逗子駅:1.5km/18分
※JR逗子駅からは横須賀線、湘南新宿ラインが利用できます。また、JR逗子駅から300m/徒歩4分離れた京急新逗子駅も利用できます。

妙本寺のあじさい。森々とした雰囲気によくあいます。

妙本寺のあじさい。森々とした雰囲気によくあいます。

鎌倉駅〜本覚寺

鎌倉駅表の改札(東口)を出て後、本覚寺に向かうには2種類の道があります。ひとつは、バスロータリーの真ん中を抜けて駅前交差点を渡って、右手に進み郵便局の隣の道を入り80m程歩いて本覚寺に至る道。

もう一つは近道です。東口駅前を右に進み、西友の前にあるケンタッキーフライドチキンの手前を左に入ります。そのまま信号を渡って直進すれば右手に本覚寺があります。最初の道は鎌倉見物らしいきれいな道、後者の近道は市民の生活感を感じる道といった感じです。

本覚寺は地元では中興の日朝にちなみ、「日朝さま」と親しまれています。日蓮の遺骨が分骨された御分骨堂を持つ日蓮宗の由緒寺院であり、あじさいと枝垂桜、百日紅(サルスベリ)の名所です。あじさいは本堂の脇、御分骨堂の前と山門近くに咲きます。株数は10株弱ながらとても端正な配置というか景観になっており、駅に近いこともあり筆者は毎年楽しみに訪れます。

本覚寺〜妙本寺

日蓮の御分骨堂を持つ本覚寺の山門(入った門ではなく大きな門)を出たら、夷堂橋を渡り、日蓮宗最古の霊跡寺院であり「臨滅時の御本尊」を護持する妙本寺に向かいます。橋を渡っていると正面に妙本寺の山門が見えます。

妙本寺は鎌倉最大の日蓮宗寺院です。祇園山に抱かれた谷戸は森々として古都らしく参拝客を迎えてくれます。通常山門から二天門に向かう緩やかに上る参道をゆき、正面の大きな祖師堂に向かうと思います。

しかし、あじさいは山門左脇にある階段の両脇と本堂、梵鐘のあたり多くあります。メインの参道の左側を並行する道です。二天門前に大きな株が一つ、祖師堂のある広い平場、比企一族の墓前にも弔うように咲くあじさいがあります。

祖師堂の左手奥の墓地には、源頼家の子であり頼朝の血をひく最後の人であり、竹御所と呼ばれた源鞠子(または媄子=よしこ)の墓があります。見過ごしやすい場所にありますのでお見逃しなく。

妙本寺〜安国論寺

妙本寺の次は日蓮が『立正安国論』を著した歴史の転換点、安国論寺に向かいます。妙本寺から安国論寺に向かうには、妙本寺山門の左手にある細い道を進みます。車もほとんど通らず静かな良い道です。道沿いには常栄寺(ぼたもち寺)八雲神社(大町)があります。

車道に出たら左に進みましょう。道なりには足利持氏の供養塔がありかつて鎌倉公方の菩提寺として栄えた別願寺、気骨ある日蓮宗の寺院 上行寺ツツジの名所であり槙も見事な北条政子ゆかりの安養院があります。

安養院を越えると道が二つに分かれますから左手に進みます。分岐点に「安国論寺」の看板がありますから間違えることはないと思います。

安国論寺のあじさいは、門前に始まり本堂に至る参道、そして本堂の裏にある南面窟へと向かう道にはびっしりとあじさいが植えられています。さらに本堂を背後から見下ろす南面窟の近くには植え替えのために準備された多数のあじさいがあります。

安国論寺〜名越切通し

安国論寺から名越切通しを抜けて法性寺に向かいます。今回歩くルートは、今を遡ること約750年前、松葉ヶ谷草庵法難の際に日蓮が難を逃れた道であるといわれています。

『立正安国論』を幕府に提出した日蓮は1260年(文応元年)8月27日、浄土教信者らにより松葉ヶ谷草庵を焼き討ちされます。松葉ヶ谷草庵があったとされているのは、現在、安国論寺妙法寺長勝寺のある場所です。伝説によると襲撃に遭った日蓮は一時洞窟に身を隠し、白猿に導かれて現在法性寺のある地に導かれたといいます。そしてその後下総まで逃げ延びます。

一時的に身を隠した洞窟は安国論寺にある南面窟といわれており、法性寺の地まで現在の名越切通しを駆け抜けたそうです。名越切通しの法性寺口付近にはその旨を記した石が置かれています。難を逃れた日蓮は、弟子に命じて法性寺を開かせたといわれています。

初夏の名越切通しはとてもよい場所です。青々とした緑に囲まれて歩くと気分も爽快になります。法性寺口付近には北条氏が三浦半島の雄族三浦氏に対して備えたとも、石切場跡ともいわれる大切岸があり、上を歩くこともできます。

法性寺には日蓮六老僧の一人であり、池上本門寺、妙本寺、本土寺(松戸)を開いた名僧・日朗の墓があります。切通しから寺の墓地を抜けて最初に見えてくる鳥居や建物あるところです。

法性寺を出たらそのまま線路沿いを歩き、JR逗子駅へと向かいます。京急新逗子駅を利用される場合には、JR逗子駅の裏口を過ぎて踏切を渡り、少し歩いて十字路を左に進んでください。

地図

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