「鎌倉」を終わらせた男、坂本龍馬

土佐の難所、朽木峠からみる梼原の山々。霞んでみえる山を越えて伊予長浜へとむかいます。

土佐の難所、朽木峠からみる梼原の山々。あれを越えて伊予長浜へとむかいます。

源頼朝が「鎌倉」を創ってから670年後の1862年(文久2年)、一人の高知藩士が脱藩します。明治維新の立役者、坂本龍馬です。「鎌倉」を終わらせた龍馬はどんな道をゆき、どんな山を越えて脱藩したのか、それが知りたくて5日間、10以上の峠を越えて旧道を120km以上歩き、龍馬が舟に乗ったところは車を使い、総移動距離は170kmとなりました。

1862年(文久2年)3月24日、坂本龍馬は沢村惣之丞とともに脱藩します。高知市の中心街、はりまや橋近くにある坂本龍馬の家から、梼原(ゆすはら)を越えて伊予長浜に到り、そこから船に乗って長州へと向かいました。

今回は龍馬の生家から伊予長浜までの四国内170kmです。龍馬は現 愛媛県の旧宿間村(亀の甲)までの約120kmを徒歩にて駆け抜け、そこから船に乗りました。それにならい、同じ道を独り歩きました。

山に入ると「坂本龍馬脱藩の道」という立て札が延々とあり、基本的に道に迷うことはないのですが、稀に新しい山道ができていたり、工事業者が勝手に立て札を抜いたりしていることがあります(筆者の場合は2回)。さらにこの度は崖崩れにも遭遇する困難な旅となりました。

8割方は舗装道路なのですが、イノブタではない野生の猪の親子に遭遇するような深い山を歩くことがあります。一番高いところは土佐のアオザレ付近、標高は1,000m程です。宿泊場所を工夫しないと山中にて日没となってしまう危険などもありますから、注意が必要です。

筆者は雑誌の取材も兼ねておりついでに自分で撮影するスタイルのため、12kgの荷物を背負っての独行となりました。日に日に痛くなる脚を引きずっての厳しさは山が深くなればなるほど辛くなります。ひたすら歩を進め、厚い土を踏みしめ、空気を感じて、気温を測り、言葉を書き留め、風景やメモを複写機でとる。

「鎌倉」を終わらせた坂本龍馬の始まりともいえる「脱藩の道」という趣旨で歩いた詳細記事はこちら「〈番外編〉坂本龍馬 脱藩の道」にあります。手前味噌ですが、これほど細かい記事はなかなかないと思います。

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