佐々木秀義

(ささき ひでよし 1112-1184)

宇多源氏佐々木氏の当主。源義朝、頼朝とともに平氏と戦う。

源氏二十一流のひとつ、宇多天皇からわかれた宇多源氏、佐々木氏の当主。宇多源氏佐々木氏は近江国を領地として繁栄したことから近江源氏といわれ、六角氏、京極氏といった支流を生みました。

秀義は源為義の娘を妻としており、源頼朝の父、義朝とは義理の兄弟ということになります。伯母は奥州の覇者藤原秀衡に嫁いでいます。保元・平治の乱においては源義朝に従い、義朝が敗れ討たれた後も平氏につくことなく、配所の頼朝の元へ子の定綱、経高、盛綱を仕えさせ挙兵時にはさらに高綱も送り込み助勢しました。

1159年(平治元年)源義朝とともに平治の乱を戦い敗れた秀義は叔母が嫁いだ奥州の藤原秀衝を頼って落ち延びようとしましたが、途中、桓武平氏の一族で武蔵国から相模国に至る領地を有した渋谷重国の元に滞在し、そのまま庇護を受け20年を過ごし重国の娘を娶り五男義清をもうけました。

頼朝が挙兵すると、長男定綱をはじめ経高、盛綱、高綱の4兄弟を頼朝に従わせ、大庭景親らによる頼朝討伐の計画を頼朝に知らせるなど頼朝とともに治承・寿永の乱を戦いました。1184年(元暦元年)7月、三日平氏の乱の鎮圧に赴きそこで戦死。享年73歳。死後近江権守を贈られました。

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