佐助稲荷神社

(さすけいなりじんじゃ)

頼朝の夢枕に挙兵を促した翁

源頼朝の吉夢を元に創建された神社。佐助の静かな谷戸にたっています。頼朝の吉兆に由来するのは銭洗弁財天が有名ですが、こちらも鎌倉らしい風情のあるお社です。

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市佐助2-22-12
祭 神宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、大宮女命(おおみやひめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)
開 基不明
創 建不明
アクセス鎌倉駅下車、徒歩25分

お稲荷様らしい風景。

お稲荷様らしい風景。

源頼朝の夢枕に立った神社はふたつあり、ひとつは銭洗弁財天、もうひとつがこの佐助稲荷神社です。

伊豆蛭ガ小島に配流されていた源頼朝が病気になり床に伏していたとき、ひとりの翁が夢枕に立ち、次のようにいいました。「公は清和の嫡流にしてまさに天下を統一すべし。早く義兵を起こして奢れる平氏を討滅し安んじ給え。我は鎌倉鎮座の稲荷なり」

後に平家を討伐し幕府を開いた頼朝はこの地にかくれ里の祠を探しあて、社殿を建てて崇拝したといわれています。

この短文には頼朝の描いたグランドデザインの要点が集約されています。清和源氏の嫡流こそ武家政権の棟梁たる資格であり、悠久の歴史を刻む朝廷を活かしながら日本を併呑するには京都から離れることが必要であり、それは河内源氏ゆかりの地であるということです。

このグランドデザインは、幕府が開かれて以降今日まで日本の基本構造となっているような気がしてなりません。

室町時代には京都に幕府がありましたが、これは平家、鎌倉の時代を経て武家政権が成熟したことが京都にあっても朝廷に飲み込まれない完成度を得たことにより、バランスを保つことができたということでしょう。決定的に外れるのは、明治~第2次世界大戦終戦までの73年間だけです。

室町幕府を打ち立てた足利氏は源義家の四男義国の次男足利義康を祖とし、義康は頼朝の父・義朝とともに活躍しました。その後江戸幕府を開いた徳川家康も真偽は不明ながら河内源氏の新田流であることを征夷大将軍の根拠としています。

今日の天皇制と議会政治による形態も頼朝の考えたバランスを引き継いでいるといえばいえるような気がしてなりません。

清廉な空気を纏う山深い佐助稲荷神社は麓からお稲荷様らしくいくつもの朱の鳥居が続く長い参道を登っていきます。頼朝千年の計を勝手に想像しながらゆっくりと登り、佐助稲荷を参拝するのも趣深いものです。

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