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三浦泰村

満昌寺。三浦氏の居城であった衣笠城の近くにあります。源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立したのが始まりです。三浦義明の首塚や国の重要文化財となっている三浦大介義明坐像などがあります。

三浦一族ゆかりの地

源頼朝による武威の王国「鎌倉」創成にとって三浦氏は大きな力となりました。三浦氏の祖、村岡(三浦)平太夫為通は源頼義に従って前九年の役を戦った功により1063年(康平6年)源頼義より三浦の地を与えらたことから三浦姓を名乗り、衣笠城を築きました。史跡は鎌倉、横須賀、三浦など三浦半島一帯に広く点在しています。

清雲寺、伝三浦為継とその一党の廟所。とても凄みがあります。中央が三浦為継、左右いずれかが為通、義継のもの。もともとは為継の墓と伝わる五輪塔がこの地にあり、廃寺となった円通寺から為通、義継を移し、三代の廟所となりました。

清雲寺

源頼朝挙兵以来に従って活躍した三浦一族は中世日本の中枢を担う大勢力となります。三浦一族抜きに「鎌倉」を語ることはできません。三浦一族と源氏の関係は頼朝から遡ること4代、源頼義(988-1075)の時代に始まります。この清雲寺には、頼朝挙兵に尽力した三浦義明以前の3代にわたる三浦氏の当主が眠っています。

満昌寺本堂。静かな境内は平安以来三浦の地に勢力を誇った三浦一族のゆかりの風格を感じます。

満昌寺

平氏を滅ぼし、奥州を平らげ、征夷大将軍となった源頼朝は苦しい挙兵時に一身を捧げ、頼朝を助けよと一族を逃し一人衣笠城合戦に散った三浦義明の菩提を弔うために一堂の建立を発願しました。それが義明山 満昌寺です。

三浦泰村供養塔。頼朝墓の東側に法華堂跡があり、そこにあるやぐらのひとつに供養塔があります。

三浦泰村供養塔

三浦泰村供養塔。1247年(宝治元年)鎌倉を舞台に合戦が勃発します。二大勢力であった北条と三浦が戦い、敗れた三浦一族は滅亡します。これを機に北条得宗家による専制体制が確立します。

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