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和田義盛

光念寺本堂。

光念寺

光念寺 (こうねんじ) 和田義盛の安房落ちを助けた筌龍弁財天 石橋山の合戦に敗れ、真鶴から安房へと落ち延びる源頼朝勢。後に鎌倉幕府侍所別当となった武勇の将、和田義盛もまたその中にいました。船上の飢えを救った漁具が後に義盛 …

満昌寺。三浦氏の居城であった衣笠城の近くにあります。源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために建立したのが始まりです。三浦義明の首塚や国の重要文化財となっている三浦大介義明坐像などがあります。

三浦一族ゆかりの地

源頼朝による武威の王国「鎌倉」創成にとって三浦氏は大きな力となりました。三浦氏の祖、村岡(三浦)平太夫為通は源頼義に従って前九年の役を戦った功により1063年(康平6年)源頼義より三浦の地を与えらたことから三浦姓を名乗り、衣笠城を築きました。史跡は鎌倉、横須賀、三浦など三浦半島一帯に広く点在しています。

和田城址。現在は石碑と看板が残るのみですが、周囲の自然はまだ残されており往時を偲ぶことができます。

和田城址

三浦義明の孫、和田義盛は弓の達人として源頼朝挙兵以来数々の戦功を挙げ、鎌倉の武の長である侍所別当となりました。同時代、三浦の当主は義村、和田は義盛。義村は和田合戦において生き残るために義盛を裏切ります。もしこの時義盛と義村、三浦一族が団結していたら、今日の世は違った形になっていたかもしれません。

和田義盛旧里碑。一見するとただの町の公園か何かのよう。源頼朝とともに日本の歴史最大級の構造改革を成し遂げた侍の本拠地屋敷の跡とは思えません。

和田義盛旧里碑

鎌倉から逗子、葉山を過ぎて海岸線を約20km下った三浦市初声町和田に和田義盛旧里跡があります。源頼朝とともに挙兵し数々の戦功を重ねた勇者、和田義盛の本拠地です。三浦義明の孫として生まれた義盛は和田の地を領地としたことから和田を名乗りました。

衣笠城址。横須賀風物百選「衣笠城址」の標。

衣笠城址

平安以来、三浦半島と安房に勢力を張った三浦一族の居城が衣笠城です。源頼朝挙兵に源氏累代の家人として即座に応じた三浦一族は、酒匂川増水により石橋山合戦に間に合わず、衣笠城に籠城。平氏の大軍に囲まれます。

浄楽寺本堂の額。かつて源頼朝が父義朝の冥福を祈る為に鎌倉の大御堂に建てた大寺院、勝長寿院の本尊を移したという言い伝えとこの「勝長寿院」の額が様々な歴史のドラマを想起させます。

浄楽寺

浄楽寺は、鎌倉幕府の創設に功を成した、侍所別当、和田義盛が創建した古刹です。勝長寿院の本尊を移したという圧巻の伝説を持っています。

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