平清盛

(たいら きよもり 1118~1181)

朝廷において最も出世した武士

 平忠盛の長男。高望王流坂東平氏の庶流、平維衝に始まる伊勢平氏の棟梁。日宋貿易により莫大な富を得、伊勢平氏として初めて昇殿を許された父忠盛の後を継いだ。1129年(大治4年)12歳で従五位下、左兵衛佐に叙任され武士としては異例の高い官職から出世街道を歩む。白河法皇の晩年の寵妃、祇園女御の猶子(契約的な養子)となり後見を得たことがその理由といわれる。保元・平治の乱に勝利し源氏の有力武士を駆逐したことで武門の第一人者となる。継室の時子が二条天皇の乳母であり乳父となった清盛はさらに権力を獲得。二条天皇、後白河法皇、摂関家ともに良好な関係を築き、日宋貿易による莫大な利益を背景に平氏黄金時代を築く。しかし平氏の朝廷席巻に不快感を持った後白河法皇・院近臣と次第に対立。1177年(治承元年)の法皇方による鹿ヶ谷の陰謀や対抗的な人事に憤慨した清盛はクーデター(治承3年の政変)を起こし後白河法皇を幽閉、高倉上皇、安徳天皇(清盛の娘徳子の子)という平氏傀儡政権を築き反平氏勢力の活動に火をつけた。1180年後白河法皇の第3皇子以仁王が平氏打倒の挙兵。これは素早く抑えるものの平氏打倒の令旨は全国に飛び火し源頼朝、武田信義、木曾義仲らが相次いで挙兵。頼朝が鎌倉入りを果たした翌年1181年(養和元年)閏2月、子の平宗盛に後を託し激動の中、死去。享年64歳。

『天子摂関御影』の平清盛。

『天子摂関御影』の平清盛。

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