武田信義

(たけだ のぶよし 1128-1186)

甲斐源氏当主、武田信玄の祖先

 源清光の次男。源義家の弟、源義光を祖とする甲斐源氏4代当主。1180年(治承4年)以仁王の令旨を受けて挙兵。諏訪に進出しつつ駿河を攻めとった。頼朝挙兵初期のこの時期、反平氏は源頼朝、武田信義、木曾義仲の3者が源氏の棟梁として並び立っていた。弟の加賀美遠光や子の石和信光は頼朝のもとに参じ、弟の安田義定は木曾義仲につくなど甲斐源氏は分裂した。その後信義は頼朝と組み義仲追討、平氏追討の戦いに参加していく。鎌倉殿と同格に近い血統を持つため「後白河法皇が信義を頼朝追討使に任じた」という噂が立ち、鎌倉において子々孫々まで弓はひかない旨の起請文を書かされるなど難しい立場となった。しかし鎌倉殿の御家人として没落することなく生き抜いた。戦国武将武田信玄は子孫にあたる。

『前賢故実』の武田信義。

『前賢故実』の武田信義。

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