東勝寺跡

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東勝寺跡

(とうしょうじあと)

北条泰時が創建した北条得宗家の氏寺。北条一族終焉の地でもあります

鎌倉時代の最高権力者、北条得宗家の氏寺として隆盛を極めた寺院であり、北条一族終焉の地ともなったのが東勝寺です。祇園山ハイキングコースとの組み合わせで楽しむとよいと思います。

エリア大町・小町
住 所鎌倉市小町3-11-34
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分

北条一族終焉の地となった東勝寺があった場所。東勝寺跡として国指定史跡に指定されています。祇園山ハイキングコースの小町側の出入口にあります。

鎌倉幕府第3代執権、北条泰時により、得宗(とくそう/北条氏嫡流)家の氏寺として建立されました。北条氏のプライベート寺院という位置づけであり、周辺の地形と一体化した城郭的な機能をもっていたと考えられています。特定の宗派はなく、諸宗兼学の寺院でした。

1333年(元弘3年)5月22日、鎌倉に攻め入った新田義貞に追い詰められた北条一族は東勝寺に籠り北条高時以下一族もろとも自害したといわれています。

平成8~9年(1996~1997年)に発掘調査がおこなわれ、焼失したと思われる建物の跡とそれを覆う数十センチの炭の層が発見されました。発掘では、数々の一流調度品も出土しており、得宗家の氏寺にふさわしい格式を誇っていたことがわかっています。

焼失後は禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられる寺院でしたが、16世紀に途絶えたといわれています。

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