東漸寺(横須賀市)

(とうぜんじ)

三浦義季ゆかりの寺院

三浦義明の五男、義季(義秀)が自身の屋敷を寺院としたと伝わります。源頼朝ゆかりのに日金地蔵を安置しています。

エリア横須賀
住 所神奈川県横須賀市武2-12-13
創 建平安末期?
開 基三浦義季(義秀)
本 尊阿弥陀如来
アクセス京急「YRP野比駅」よりバス「南部入口」下車、徒歩2分、もしくはJR「衣笠駅」より徒歩7分、衣笠十字路バス停よりバス乗車、「南部入口」バス停下車、徒歩2分

東漸寺。

東漸寺。

三浦義季(義秀)創建による寺院

三浦義明の五男、義季(義秀)が屋敷を使い、阿弥陀如来を御本尊とする浄土宗の寺院として建立したといわれています。三浦氏の居城、衣笠城を抜けて南西へと走り林のロータリーで国道134号につながる県道26号線沿いにあります。

鎌倉二十四地蔵の一つ、日金地蔵

境内には源頼朝ゆかりの日金地蔵があり、これは鎌倉二十四地蔵の一つです。源頼朝は伊豆日金山の日金地蔵尊に源氏再興を祈願し、めでたくその願いを達しました 。その縁から頼朝が日勤地蔵尊を模した仏像を造り鎌倉市雪ノ下、岩窟不動尊の東側にあったという松源寺に祀ったといわれています。
伊豆の日金山とは、273年(応神天皇4年)に始まる伊豆山神社の元宮として、伊豆山神社共々源頼朝に篤く崇敬された神社です。『吾妻鏡』にも走湯権現として幾度も登場しています。
境内掲示板にある地蔵菩薩半跏像(日金菩薩)の説明文は以下のとおりです。
「横須賀市指定重要文化財 地蔵菩薩半跏像(じぞうぼさつはんかぞう) 一躯 東漸寺像
この地蔵は別名「日金(ひがね)地蔵」と呼ばれ、もとは鎌倉雪ノ下にあった松源寺(現・廃寺)の本尊であったが、明治初年の廃仏毀釈(明治政府の仏教排斥政策)によって、各地を転々とし、昭和のはじめごろ、本寺に安置されたといわれている。
像は岩の上に上半身を直立し、右手に錫杖(しゃくじょう=つえ)、左手に宝珠(ほうじゅ=たま)を持ち、右足を左ひざにおく半跏の姿をしている。
造りは寄木造り、玉眼入りで像高103センチメートルである。身部の金箔・光背などは後で補修されたものであるが、胎内の墨書銘により、寛正3年(1462)に大仏師宗円によって造立されたことがわかる。宗円は鎌倉仏師のひとりである。
「日金地蔵」の由来は新編相模国風土記稿によると、治承4年成功の後、その像を模して造ったのが、この地蔵だといわれている。
このような、いわれを残す中世の地蔵信仰を知るうえでも、また、年代のわかる地方の彫刻史料としても、価値の高いものである。
昭和45年5月11日指定
横須賀市教育委員会

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