和賀江嶋

(わかえのしま)

名執権・北条泰時の遺構 現存する最古の港湾施設

和賀江島は、光明寺の少し先にあります。鎌倉の内港として栄え、往時には宋からの船も停泊しました。鎌倉市と逗子市の境界に位置し、200メートルに渡って石が積まれています。

エリア由比ヶ浜・材木座
住 所鎌倉市材木座

1232年(貞永元年)、往阿弥陀仏という聖がこの地に港湾施設を築く許可を幕府に願い出た。鎌倉の都市整備に余念のなかった北条泰時はこの事業を大いに支援しました。開港の後、この周辺は多いに栄えたと記録が残っています。

和賀江嶋は材木座の東端にあります。潮が引くと築港跡の先端まで歩いて行くことができます。歩いてみるとわかりますが、石が積まれている場所の下は岩盤が露出しており、ここが材木座・由比ヶ浜においてここが唯一築港可能な場所であっただろうと思われます。

鎌倉時代の後半には極楽寺が港の維持管理を行い、関米を徴収していました。江戸時代に入っても漁船の係留場として使用されていたようです。

和賀江島の築港を支援した第3代執権北条泰時は名執権とされています。義時から受け付いだ執権政治による政権運営をより強固なものとしました。執権を2名体制とし(執権・連署体制)、それに11人の評定集を加えた13人による合議制の政権運営体制を確立。最初の武家法である御成敗式目の策定も後世に名高い業績です。

また、インフラ整備にも尽力し、鶴岡八幡宮から北鎌倉を繋ぐ巨福路坂を整備することで現在の北鎌倉(山ノ内)を開き、鎌倉を支えた良港であった六浦港と鎌倉中心部を繋ぐ六浦道も整備しました。

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