薬王寺

目 次

薬王寺

(やくおうじ)

徳川家ゆかりの寺

閑静な扇ガ谷の地にある薬王寺は、日蓮から京都布教を託された日像が開山し、徳川家ともゆかり深いお寺です。

エリア大町・小町
住 所鎌倉市扇ガ谷3-5-1

宗 派日蓮宗
本 尊久遠実成釈迦牟尼佛
創 建1293年
開 基日像、日達(中興開山)
アクセス「鎌倉駅」より徒歩13分、もしくは「北鎌倉駅」より徒歩15分
公式HPhttp://www.kamakura-yakuouji.com/

薬王寺境内。

薬王寺境内。

徳川家とゆかりの深いお寺。元は真言宗の夜光寺でしたが日像により日蓮宗に改宗し、その後中興開山の日達によって大乗山薬王寺となりました。

病床の日蓮が京都での布教を託した日像は、厳しい布教に耐えるため鎌倉由比ガ浜において百日間の荒行を行いました。日像は荒行の後この地にあった真言宗の夜光寺にたどりつき、住職を論破します。そして夜光寺は日蓮宗に改宗しました。

中興開山の日達は衰退していた夜光寺を中興し七堂伽藍の寺院へと整備し、大乗山薬王寺としました。

薬王寺は徳川将軍家と深いゆかりがあります。

江戸時代、寛永年間、三代将軍家光の弟である駿河大納言徳川忠長は粗暴な性格のため28歳で切腹させられます。悲しんだ妻の松孝院(織田信長の次男、信雄の息女)は薬王寺において供養し追善供養のために供養塔を建立しました。

また、本堂中央にある日蓮聖人坐像は第11代将軍徳川家斉の命によってつくられたものです。鼠山の感應寺に祀られていたものであり像内には将軍の遺骨が納められていました。その後、感應寺は廃寺となり像は薬王寺に安置されました。

特に忠長の供養塔があることから三葉葵の寺紋が用いられた徳川家ゆかりの薬王寺は、当時一般市民は埋骨できない格式のお寺でした。

蒲生氏郷、徳川家康の孫であり伊予松山藩主、蒲生家最後の当主となった蒲生忠知の妻、松寿院と息女の墓所であるともいわれ、宝篋印塔が建立されています。

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