源頼朝の墓

岡の上にひっそりとある、鎌倉を創った傑物の墓

鎌倉幕府の創始者、源頼朝の墓です。かつてはこの辺り一帯に法華堂があり、頼朝の墓所として篤く信仰されていたそうです。近くには大江広元や三浦泰村一族の墓もあります。

 

エリア北東
住 所鎌倉市西御門2-5-2
創 建1199年(源頼朝没年)

鎌倉幕府の創始者、源頼朝は1199年1月13日53歳で亡くなり、現在の墓がある一帯にあった法華堂に葬られました。現在の墓は1779年、島津藩主の島津重豪(しげひで)が再建したそうです。八幡宮を西御門方面に出て、頼朝の大倉御所跡(現在は横浜国大附属小・中)を抜けてしばらく歩いたところにあります。

往時の大倉法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されたようです。現在は鎌倉一のビッグネームには似合わないひっそりとした墓です。すぐ隣には頼朝の片腕だった大江広元とその子毛利季光、三浦泰村一族の墓などがあります。

源頼朝の墓を中心に散策するなら、鎌倉駅~八幡宮~源頼朝の墓(大江広元の墓など含む)~大塔宮(もしくは荏柄天神)あたりが定番のコースです。

平成24年(2012年)2月11日、参拝客などから「男が頼朝の墓を壊している」と110番通報がありました。犯人は大和市南林間の男(46)で、頼朝の墓の石塔上部が地面に落下しました。また、墓所にある石灯籠や隣接する白幡神社の狛犬も台座から落とされていたようです。ちなみに本稿の写真は事件以前のものです。

『新編鎌倉志』(江戸時代につくられた元祖鎌倉ガイド)の記述

賴朝の墓(よりとものはか)
法華堂の後(うしろ)の山の上にあり。『東鑑脱漏』に、法華堂、西の方岳上(がくしやう)に、右幕下の御廟(ごびやう)を安ずとあり。

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