足利義兼

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足利義兼

(あしかが よしかね 1154-1199)

足利義兼 頼朝挙兵にいち早く参じる

源義家の孫、足利義康の子。足利尊氏の祖先。母は藤原季範の養女(実の孫)であり、季範の娘を母に持つ頼朝とは父母ともに近い血統を持つ。源頼朝挙兵にもいち早く参じ、1181年(治承5年)には北条政子の妹時子と結婚した。平氏追討、奥州合戦に従軍。奥州藤原氏の残党が起こした大河兼任の乱では追討使として乱を平定した。頼朝に近すぎる血統から難しい立場となり、派手に表に出ることはなく、晩年は出家し、足利の樺崎寺に過ごした。義兼の血統は鎌倉時代を通して生き抜き、足利尊氏が足利幕府を開くことになる。

明治時代、菊池容斎により描かれた足利義兼。

明治時代、菊池容斎により描かれた足利義兼。

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