五霊神社

目 次

五霊神社

(ごりょうじんじゃ)

源義朝ゆかりの神社

源義朝の沼浜邸(神奈川県逗子市)の鎮守として勧請したといわれる神社。樹齢800年〜1000年といわれる大銀杏が聳えています。

エリア逗子・葉山
住 所神奈川県逗子市沼間3-10-34
創 建1140-60?
祭神天手力男命 (あめのたじからおのみこと)
アクセスJR「東逗子駅」下車、徒歩9分

五霊神社のお社と大銀杏。

五霊神社のお社と大銀杏。

源義朝ゆかりの沼浜と五霊神社の創建

源頼朝の父、武勇名高い源義朝は源氏低迷期に東国に地盤を築き都へと戻り中央軍事貴族として源氏を再び盛り返したものの、平清盛と覇を争い、平治の乱に敗死します。しかし、義朝の残した東国の地盤と頼朝の高い身分は、その後の頼朝による「鎌倉」創成に大になる力を与えました。そんな義朝の鎌倉における邸宅は沼浜郷(現在の逗子市沼間)にありました。おおむね光照寺のすぐ近くにある法勝寺のあたりであったといいます。後になって現在寿福寺のある場所に移されました。
五霊神社は、源義朝沼浜邸の鎮守として勧請したものであると伝えられています。義朝が関東に下向し、頼朝の兄である義朝の長男義平が誕生したのが1141年(永治元年)、平治の乱に敗死したのが1160年(平治2年)ですから恐らくその間に創建されたものと思われます。

境内と大木たち

横須賀線の線路と並行して走る県道24号線沿いに五霊神社はあります。遠目からでもわかるように境内には大木が多くあります。大銀杏を筆頭に、欅(ケヤキ)、椨木(タブノキ)、赤樫(アカガシ)、榎(エノキ)、椋木(ムクノキ)、犬槙(イヌマキ)など21本もの木が保存樹木に指定されており、立派な木に囲まれているだけで満たされた心持ちになります。
最も大きな大銀杏は樹齢800年以上といわれ、いまはなき鶴岡八幡宮の大銀杏や三崎にある頼朝公寄進と伝わる海南神社の大銀杏と並ぶ巨木。後白河法皇平清盛と凌ぎを削った義朝の姿を見守ったかもしれない神木です。樹高は25メートル、胸高周囲は6.7メートル。

天手力男命 (あめのたじからおのみこと)

祭神の天手力男命
は力に優れ、その力を以てもろもろの禍(わざわい)を取り除き罪穢れを清める功績の高い神です。どことなく義朝の功績ともかぶるものを勝手に感じてしまいます。

近くには名所が点在

五霊神社の周辺には古刹や「鎌倉」ゆかりの場所が点在しています。

神武寺

まず第一は行基菩薩によって724年(神亀元年)に開かれ、山全体が神嶽(こうのたけ)として修験道の霊場とされていた神武寺でしょう。源義朝も崇敬したことも想像されますし、頼朝が敬ったことは鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも記されています。

法勝寺

法勝寺は神武寺の麓にあり、源義朝の邸宅は法勝寺のあたりにあったといわれています。現在は日蓮宗の寺院になっており、併設された幼稚園からは子供たちの元気な声が聞こえてきます。

光照寺

名将源義朝の長子にして猛者の聞こえ高く、「鎌倉悪源太」(鎌倉の猛者)と呼ばれた源義平の菩提寺と言い伝えられています。源義朝沼浜邸跡(法勝寺のあたり)といわれる法勝寺のすぐ近くにあり、平治の乱において敗死した義平の菩提を弔うために創建されたと言い伝えられています。

歴史を歩いていろいろな事を感じたいけれど、鎌倉はちょっと騒がしいかなという時、鎌倉からもう二駅下り東逗子駅で降りてみてはいかがでしょうか。

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