北条時政

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北条時政

(ほうじょう ときまさ 1138-1215)

北条氏中興の祖

 北条時方の子。伊豆国田方郡北条の在地豪族。伊豆に配流となった源頼朝の監視役となり娘の政子が頼朝の妻となったことから歴史に登場する。頼朝とともに挙兵。武田信義率いる甲斐源氏を味方に引き入れるための使者として赴きこれに成功、甲斐源氏とともに駿河に進攻した。頼朝の家人として木曾義仲、平氏の追討を戦い、1185年には源義経に頼朝追討の院宣を与えた後白河法皇や院近臣との交渉のため、頼朝の命を受けて京都に上る。この時の交渉において有名な守護・地頭の設置を朝廷に認めさせ、義経謀反後の混乱を京都守護として鎮めた。頼朝が死去し頼家の代となると十三人合議制のひとりとなり、梶原景時比企能員など有力御家人を抑え、将軍頼家を伊豆に追放。3代将軍に実朝を擁立し幕府の実権を握る。1205年(元久2年)には武蔵国支配の目的もあり、幕府の重鎮畠山重忠を謀反の罪により滅ぼし、さらに牧の方とともに娘婿の平賀朝雅を将軍とするため実朝暗殺を計画するが時政らの専横は子の北条義時、政子により阻止され孤立。出家の上伊豆に追放された。

『柳庵随筆』の北条時政。

『柳庵随筆』の北条時政。

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