〈史跡〉鎌倉市の国宝・指定文化財(史跡)

目 次

〈史跡〉鎌倉市の国宝・指定文化財(史跡)

文化財指定を受けた鎌倉市の史跡

鎌倉市には31件の国指定史跡と2件の神奈川県指定史跡があります。散策の参考になれば幸いです。

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〈鎌倉市の国指定史跡〉31件

法華堂跡(源頼朝墓、北条義時墓)

三浦泰村供養塔。源頼朝法華堂跡、北条義時墓所といわれているこの場所の奥にあります。この平場の上には大江広元の墓もあります。

三浦泰村供養塔。源頼朝法華堂跡、北条義時墓所といわれているこの場所の奥にあります。この平場の上には大江広元の墓もあります。

指  定平成18年(2006年)7月28日
住  所鎌倉市西御門
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩20分
関連記事源頼朝の墓北条義時の墓大江広元の墓三浦泰村供養塔

「鎌倉」を創った最重要人物ふたりの墓所といわれている場所です。源頼朝は言わずもがな、北条義時も頼朝に次ぐ人物です。北条政子など比べ物にならない重要人物です。源頼朝墓は鎌倉見物の定番として知られており、北条義時墓は同じ山の源頼朝墓を正面にして右手の方にあります。近くには史跡がいくつもありますので、関連記事にてご確認ご覧ください。

日野俊基墓

新緑に囲まれた日野俊基の墓。

新緑に囲まれた日野俊基の墓。

日野俊基墓近くの紅葉。

日野俊基墓近くの紅葉。

指  定昭和2年(1927年)4月8日
住  所鎌倉市梶原(源氏山、葛原岡神社そば)
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩25分
関連記事葛原岡神社源氏山公園

鎌倉倒幕の士、日野俊基の墓です。近くには俊基を祀る葛原岡神社があります。明治天皇は建武の中興を高く評価し、大塔宮(鎌倉宮)、葛原岡神社などを鎌倉に創建しました。源氏山にあり、木々に囲まれ気持よく参拝することができます。

浄光明寺境内・冷泉為相墓

浄光明寺境内。客殿の右側に美しい庭があり、そのさらに右に不動堂があります。奥には本殿や冷泉為相の墓などがあります。

浄光明寺境内。客殿の右側に美しい庭があり、そのさらに右に不動堂があります。奥には本殿や冷泉為相の墓などがあります。

浄光明寺の巨大な槙と柏槙、そして本殿。

浄光明寺の巨大な槙と柏槙、そして本殿。

指  定平成19年(2007年)2月6日
住  所鎌倉市扇ガ谷2-12-1
公開状況公開(冷泉為相墓は限定)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連記事浄光明寺

浄光明寺は鎌倉幕府第6代執権、北条長時が開いた真言宗泉涌寺派(せんにゅうじは)の寺院です。足利尊氏が後醍醐天皇に対する挙兵前に籠ったという話は有名です。冷泉為相墓は境内上部にあり、曜日と時間を限って公開されています。詳しくは関連記事の浄光明寺記事をご覧ください。

極楽寺境内・忍性墓

桜の季節の極楽寺。

桜の季節の極楽寺。

指  定平成20年(2008年)3月28日
住  所鎌倉市極楽寺3-6-7
公開状況境内は公開。忍性墓は4月8日の「花まつり」の日のみ特別公開
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車すぐ
関連記事極楽寺

北条義時の三男、重時により創建されました。開山したのは真言律宗の忍性です。乞食やライ病患者の救済に努めるとともに幕府と結びつき大いに栄えたといいます。鎌倉市中の西の境界に位置しています。

伝上杉憲方墓

指  定昭和2年(1927年)4月8日
住  所鎌倉市極楽寺(桜橋付近に入口あり)
公開状況公開
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車、徒歩3分

室町時代、第3代足利氏満のもとで関東管領を務めた上杉憲方の墓。西方寺跡ともいわれています。

稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)

稲村ケ崎の突端。新田義貞はここを越えて鎌倉市中に攻め入り、鎌倉幕府を滅亡させました

稲村ケ崎の突端。新田義貞はここを越えて鎌倉市中に攻め入り、鎌倉幕府を滅亡させました

稲村ケ崎越えの石碑。

稲村ケ崎越えの石碑。

指  定昭和9年(1934年)3月13日
住  所鎌倉市稲村ヶ崎
公開状況公開(公園になっています)
アクセス江ノ電「稲村ケ崎駅」下車、徒歩3分
関連記事稲村ヶ崎

1333年5月21日、鎌倉を包囲した新田義貞の倒幕軍は天然の要塞である鎌倉の固い守りに苦戦しますが、この稲村ケ崎を伝説となった龍神の助けとともに突破。鎌倉へとなだれ込み、鎌倉幕府を滅ぼします。

若宮大路

鶴岡八幡宮から由比ケ浜まで一直線にのびる若宮大路を見渡します。

鶴岡八幡宮から由比ケ浜まで一直線にのびる若宮大路を見渡します。

指  定昭和10年(1935年)6月7日
住  所鎌倉市小町、御成町、由比ガ浜
公開状況公開(一般道、段葛)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩1分
関連記事鶴岡八幡宮段葛由比若宮一ノ鳥居

由比ヶ浜から鶴岡八幡宮までを一直線に繋ぐ約1.8kmの参道。1180年(治承4年)鎌倉入りした源頼朝は鶴岡若宮(現 鶴岡八幡宮)を現在の地に移すなど鎌倉の基盤整備を行ないました。その一環として、北条政子の安産祈願も兼ねて1182年(養和2年)若宮大路を建設しました。

浄智寺境内

浄智寺境内。

浄智寺境内。

指  定昭和41年(1966年)2月28日
住  所鎌倉市山ノ内1402
公開状況9:00〜16:30/200円(浄智寺)
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩6分
関連記事浄智寺

鎌倉らしい山に包まれた静寂な谷を利用して造られた浄智寺。鎌倉幕府第10代執権、北条師時(1275-1311)の創建による鎌倉五山第四位の禅寺(臨済宗)。

寿福寺境内

寿福寺総門。

寿福寺総門。

寿福寺、中門。

寿福寺、中門。

寿福寺、中門からみる本殿。

寿福寺、中門からみる本殿。

指  定昭和41年(1966年)3月22日
住  所鎌倉市扇ヶ谷1-17-7
公開状況公開 ※中門から内は非公開
アクセス「鎌倉駅」西口下車、徒歩10分
関連記事寿福寺源義朝

1199年(正治元年)に没した源頼朝の菩提を弔うため、1200年(正治2年)に頼朝の妻 政子が栄西を招いて創建しました。この地には頼朝の父 義朝の屋敷があり、背後の源氏山は源義家が後三年の役において戦勝祈願をしたという源氏ゆかりの場所です。

永福寺跡

源頼朝が力を傾注して建てた永福寺の跡。

源頼朝が力を傾注して建てた永福寺の跡。

指  定昭和41年(1966年)6月14日
住  所鎌倉市二階堂178
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」よりバス「大塔宮」下車、徒歩10分
関連記事永福寺跡

1192年(建久3年)、源義経や藤原泰衡を始めとする奥州合戦の戦死者を供養するため、源頼朝が創建したかつての大寺院。鶴岡八幡宮、勝長寿院と並ぶ、当時の鎌倉三大寺社でした。1405年(応永12年)、火災のため消失の後廃絶しました。現在は発掘調査を経て史跡、永福寺跡として整備されています。

建長寺境内

建長寺仏殿。

建長寺仏殿。

建長寺半僧坊からみる、晩秋の建長寺。

建長寺半僧坊からみる、晩秋の建長寺。

指  定昭和41年(1966年)9月12日
住  所鎌倉市山ノ内8
公開状況8:30〜16:30/300円
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連記事建長寺

1253年(建長5年)鎌倉幕府第5代執権、北条時頼により創建された、執権政治の黄金時代を象徴する寺院です。日本における禅宗の中心となりました。

浄妙寺境内

浄妙寺境内。

浄妙寺境内。

指  定昭和41年(1966年)11月2日
住  所鎌倉市浄明寺3-8-31
公開状況9:00〜16:30/100円
アクセス「鎌倉駅」よりバス、「浄明寺」下車すぐ
関連記事浄妙寺

鎌倉初期の1188年(文治4年)、足利義兼によって創建された古刹。室町幕府を開く足利尊氏を輩出した足利氏は、源頼朝と近い血統を持っていたことから厳しい立場となりながらも鎌倉時代を生き抜きました。浄明寺地域は、足利氏の屋敷や菩提寺である浄妙寺があり、足利氏の当主は浄妙寺殿と呼ばれたそうです。

鶴岡八幡宮境内

鶴岡八幡宮。

鶴岡八幡宮。

指  定昭和42年(1967年)4月24日
住  所鎌倉市雪ノ下2-1-31
公開状況公開(随時)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分
関連記事鶴岡八幡宮

1063年(康平6年)、源頼朝から5代遡った河内源氏の当主、源頼義が由比若宮(元八幡)の地に石清水八幡宮を勧請したことに始まる。最も頼朝の「鎌倉」を象徴する史跡。頼朝が現在の地に移し、鎌倉の中心として相応しい神宮寺、鶴岡八幡宮寺として創建しました。明治維新の神仏分離とそれに伴う廃仏毀釈運動により、貴重な仏教施設は破壊され、現在の純粋な神社となりました。

円覚寺境内

円覚寺。

円覚寺。

指  定昭和42年(1967年)4月24日
住  所鎌倉市山ノ内409
公開状況8:00〜16:30(3月〜11月)、8:00〜16:00(12月〜2月)/500円
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩1分
関連記事円覚寺

北条執権政治を代表する大寺院の一つ。1282年(弘安5年)、蒙古の侵略を撃退した第8代執権、北条時宗が、双方の戦没者を弔うために建立しました。

覚園寺境内

覚園寺山門。

覚園寺山門。

指  定昭和42年(1967年)6月22日
住  所鎌倉市二階堂421
公開状況愛染堂までは無料。その奥は寺の案内によって入る(定刻制 300円)。8月と年末年始は休み。
アクセス「鎌倉駅」よりバス「大塔宮」バス停下車、徒歩8分
関連記事覚園寺

1218年(建保6年)、北条義時が建立した大倉薬師堂を起源とし、鎌倉幕府第9代執権、北条貞時(1272-1311)が1296年(永仁4年)に寺院として建立しました。谷の中は寺の案内によってしか入れないためか、中世を感じさせる静謐を保っています。足利尊氏が1354年(正平9年)に再興した本堂を修復しながらも維持しています。

和賀江嶋

和賀江嶋。

和賀江嶋。

指  定昭和43年(1968年)10月14日
住  所鎌倉市材木座
公開状況随時
アクセス「鎌倉駅」よりバス「飯島」下車、徒歩1分。もしくは「鎌倉駅」下車、徒歩30分(光明寺参拝も兼ねるなら「光明寺」バス停下車)
関連記事和賀江嶋北条泰時

和賀江嶋は材木座の東端にあり、1232年(貞永元年)名執権といわれる第3代執権、北条泰時(1183-1242)により築港されました。往時は宋の船も入ったといわれ、現在も鎌倉時代の土器(かわらけ)が海岸に打ち寄せられます。現存する日本最古の港湾遺跡です。

朝比奈切通し

朝比奈切通し。

朝比奈切通し。

指  定昭和44年(1969年)6月5日
住  所鎌倉市十二所〜横浜市金沢区
公開状況随時
アクセス「鎌倉駅」よりバス「十二所神社」下車、徒歩10分。もしくは「大船駅」よりバス「朝比奈」停留所下車、徒歩すぐ
関連記事朝比奈切通し朝比奈切通しの紅葉

鎌倉を支えた良港、六浦と鎌倉市中を繋ぐ朝比奈切通しは、巨福呂坂を拓き、和賀江嶋を築港した第3代執権、北条泰時によって造られました。和田義盛の三男、朝夷奈三郎義秀が一晩で切り開いたという伝説から名付けられました。醜い近代建築に侵食される鎌倉にあって、古道の趣を保つ貴重な史跡です。

亀ヶ谷坂

亀ヶ谷坂切通し。舗装されてしまっていますが、雰囲気はよいです。

亀ヶ谷坂切通し。舗装されてしまっていますが、雰囲気はよいです。

指  定昭和44年(1969年)6月5日
住  所鎌倉市山ノ内~扇ガ谷3
公開状況随時(自動車通行できません)
アクセス「北鎌倉駅」下車徒歩10分
関連記事亀ヶ谷坂切通し

北鎌倉から扇ガ谷を繋ぐ道として著者もよく使います。舗装されているものの、古道の趣があり、なんといっても煩い車が通りません。『吾妻鏡』1251年(建長3年)の記述に登場しますから、この頃までに通っていたようです。

巨福呂坂

巨福呂坂。

巨福呂坂。

指  定昭和44年(1969年)11月29日
住  所鎌倉市雪ノ下
公開状況随時(県道)
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩17分。もしくは「鎌倉駅」下車、徒歩20分
関連記事巨福呂坂

雪ノ下と山ノ内を通します。第3代執権、北条泰時によって造られたといわれます。巨福呂坂により現在の山ノ内方面が発展し、建長寺円覚寺浄智寺など、鎌倉幕府(北条執権政治)の力を象徴するような大寺院が建てられていきました。

化粧坂

化粧坂切通し。

化粧坂切通し。

指  定昭和44年(1969年)11月29日
住  所鎌倉市扇ガ谷
公開状況随時
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩20分
関連記事化粧坂切通し

旧鎌倉には、源氏山、祇園山、衣張山などいくつかの小さな山があります。化粧坂は源氏山へと通じる切通しです。さらに源氏山からは大仏、北鎌倉(浄智寺)、大船方面へと抜けることができます。距離が短く、鎌倉駅に一番近いですから、気軽に古道の雰囲気を感じることができます。

瑞泉寺境内

瑞泉寺本堂。

瑞泉寺本堂。

瑞泉寺境内。

瑞泉寺境内。

指  定昭和46年(1971年)11月8日
住  所鎌倉市二階堂710
公開状況9:00〜17:00(入門16:30)/200円
アクセスJR鎌倉駅より徒歩35分、JR鎌倉駅より京急バス「大塔宮」下車徒歩15分
関連記事瑞泉寺

概要:足利尊氏の四男、基氏が夢窓疎石を招いて鎌倉時代末期の1327年(嘉暦2年)に開いた名刹。二階堂の奥、鎌倉山脈の麓、山豊かな深い谷(やつ)に位置します。

大仏切通し

大仏切通し。

大仏切通し。

指  定昭和52年(1977年)8月10日
住  所鎌倉市長谷
公開状況随時
アクセス江ノ電「長谷駅」徒歩20分
関連記事大仏切通し

大仏トンネル手前から入り、トンネルを上から超えて火の見下やぐらに出る切通しです。歴史に初めて登場するのは1685年の『新編鎌倉志』です。車道と並走するため、一部車の音が聞こえてしまいますが、古道としての切通しらしく保存されています。

北条氏常盤亭跡

北条氏常盤亭跡

北条氏常盤亭跡

北条氏常盤亭跡

北条氏常盤亭跡

指  定昭和53年(1978年)12月19日
住  所鎌倉市常盤
公開状況随時
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩20分もしくは「鎌倉駅」よりバス「一向堂」下車、徒歩1分
関連記事北条氏常盤亭跡

中世鎌倉時代の貴重な遺構です。北条政村を始めとする北条一族の有力者がかつてここに設けた別邸を中心として常磐地域に広大な施設を有し、大仏切通しなどの防衛拠点としていました。

名越切通し

名越切通し

名越切通し

指  定昭和41年(1966年)4月11日
住  所鎌倉市大町~逗子市久木など
公開状況随時
アクセス「鎌倉駅」よりバス「長勝寺」下車、徒歩8分(名越坂付近の出入口)
関連記事名越切通し

鎌倉の名越と逗子、三浦半島方面を繋ぐ鎌倉東南の要ともいえる切通しです。古道の趣を残し、自然も豊かです。鎌倉幕府初期には、三浦氏を警戒する北条一族にとって重要な防衛拠点でもあったでしょう。千葉から鎌倉に入った日蓮もこの道を通って鎌倉へと入りました。

明月院境内

あじさいが咲く明月院。

あじさいが咲く明月院。

指  定昭和59年(1986年)2月9日
住  所鎌倉市山ノ内189
公開状況9:00〜16:00(6月は17:00)/300円(6月は500円)。本堂後庭園は別に500円
アクセス「北鎌倉駅」下車、徒歩8分
関連記事明月院

明月院としての創建は1394年(応永元年)となっていますが、元をたどると鎌倉開府以前の1160年(永暦元年)の明月庵に遡ります。1253年(建長5年)に建長寺を創建した第5代執権北条時頼が建長寺に近いこの地に最明寺を創建し、時頼の子である第8代執権北条時宗が禅興寺としました。時は下って鎌倉末期、関東管領の上杉憲方(1335-1394)により明月庵は禅興寺の塔頭となり、明月院となりました。これが明月院の創建とされています。さらに明治初年には禅興寺は廃寺となり明月院が残りました。禅興寺は残念ながら住宅地となってしまっています。明月院は、あじさい寺としても知られています。

東勝寺跡

東勝寺跡。

東勝寺跡。

指  定平成10年(1998年)7月31日
住  所鎌倉市小町3-11-34
公開状況公開(柵の外から)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩15分
関連記事東勝寺跡東勝寺橋北条高時腹切りやぐら

名執権といわれる第3代執権北条泰時が、退耕行勇を開山として創建した寺院。鎌倉幕府・北条一族最後の地でもあります。北条得宗家の氏寺として大いに興隆したといいます。1333年(元弘3年)新田義貞に攻められ鎌倉幕府は滅びますが、その最後の地が東勝寺であったといわれます。この地で東勝寺合戦が行われ、北条高時以下一族は自害しました。

鎌倉大仏殿跡

紅葉の足元に礎石があります。

紅葉の足元に礎石があります。

指  定平成16年(2004年)2月27日
住  所鎌倉市長谷4-2-28(高徳院・大仏)
公開状況8:00〜17:30(4月〜9月)、8:00〜17:00(10月〜3月)/200円。※高徳院の拝観時間
アクセス江ノ電「長谷駅」下車、徒歩10分
関連記事高徳院(大仏)

国宝、鎌倉大仏の大仏殿跡。現在の受付を入ってすぐのあたりから、大仏裏の観月堂の少し前あたりまで礎石がありますから、相当大きな堂宇であったでしょう。礎石は60個あったとされ、現在は高徳院境内に56個が残されています。礎石には根府川産の輝石安山岩が使われています。

荏柄天神社境内

荏柄天神社。

荏柄天神社。

指  定平成17年(2005年)7月14日
住  所鎌倉市二階堂74
公開状況8:30〜16:30(荏柄天神社)
アクセス「鎌倉駅」よりバス「天神前」下車、徒歩1分、もしくは「鎌倉駅」下車、徒歩20分
関連記事荏柄天神社

災害により記録が消失し確かな創建は不明なものの、源頼朝が鎌倉入りした1180年(治承4年)には、頼朝が鎌倉幕府の鬼門鎮守とし、社殿を改築したと記録が残っています。本殿は鎌倉時代末期の1316年(正和5年)に建てられた鶴岡八幡宮の旧本殿を移築しており、鎌倉最古の建築物であるとともに、現存する唯一の鎌倉時代の建築物です。

仏法寺跡

指  定平成18年(2006年)7月28日
住  所鎌倉市極楽寺
公開状況公開。山中にあり、史跡として整備されていません。
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車、徒歩約40分

仏法寺はかつてあった極楽寺の支院。成就院の裏側の山を霊山山といい、仏法寺跡や五合枡と呼ばれる城郭遺構があります。

一升枡遺跡

指  定平成19年(2007年)2月6日
住  所鎌倉市極楽寺
公開状況公開。山中にあり、史跡として整備されていません。
アクセス江ノ電「極楽寺駅」下車、徒歩約40分

一升枡遺跡は、大仏切通しを守る城郭の遺構です。現在は調査の跡、放ったらかしといった感じで草ぼうぼうです。山中にあり、整備されていないためかなり道がわかりづらく道標もありません。

大町釈迦堂口遺跡

旧北条時政山荘跡。調査の結果さらに後代のものとわかりました。

旧北条時政山荘跡。調査の結果さらに後代のものとわかりました。

指  定平成22年(2010年)8月5日
住  所鎌倉市大町
公開状況非公開
アクセス(釈迦堂口切通し通行禁止の立て看板まで)「鎌倉駅」下車、徒歩28分(大町側)/徒歩31分(浄明寺側)

大町と浄明寺を結ぶ近道として便利でもあった釈迦堂口切通しが、崩落の危険ありということで通行禁止になり、それに伴って現在遺跡へのルートは衣張山山頂から獣道を行くしかなくなってしまいました。以前は北条時政山荘跡とされていましたが、調査の結果、もっと後代のものと判明しました。大きな平場や唐糸やぐら、切通しなど多くの史跡が残されています。

〈県重文〉2件

段葛

段葛。

段葛。

段葛。

段葛。

指  定昭和30年(1955年)8月30日
住  所鎌倉市小町〜雪ノ下
公開状況鶴岡八幡宮の参道ですが、一般道として公開(現在整備中につき通行止め)
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩3分
関連記事段葛

1182年(養和2年)源頼朝による「鎌倉」都市整備の重要道として建設されました。妻 政子の妊娠を期に安産祈願を兼ねて工事が始まりました。鎌倉の都市化に伴い中心部に水がたまるようになり、一段嵩上げされた道が造られたともいわれます。かつては由比ヶ浜近くの一ノ鳥居(浜の大鳥居)まで続いていましたが、横須賀線の線路建設のために破壊されました。

百八やぐら(覚園寺)

百八やぐら。

百八やぐら。

指  定昭和36年(1961年)7月4日
住  所鎌倉市二階堂
公開状況公開
アクセス「鎌倉駅」よりバス「大塔宮」バス停下車、徒歩20分
関連記事百八やぐら天園ハイキングコース

180程のやぐらが集中しており、やぐらの中には首の落ちた石仏が多くあります。中世から残る重要な遺構です。山中にあることもあり、大変凄みのある場所です。

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