清雲寺

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清雲寺

(せいうんじ)

三浦半島に栄えた桓武天皇の末裔、三浦氏三代の廟所

源頼朝挙兵以来に従って活躍した三浦一族は中世日本の中枢を担う大勢力となります。三浦一族抜きに「鎌倉」を語ることはできません。三浦一族と源氏の関係は頼朝から遡ること4代、源頼義(988-1075)の時代に始まります。この清雲寺には、頼朝挙兵に尽力した三浦義明以前の3代にわたる三浦氏の当主が眠っています。

エリア横須賀
住 所横須賀市大矢部5-9-20
宗 派臨済宗(円覚寺派)
本 尊滝見観音像
創 建1104年
開 基三浦義継
文化財木造観音菩薩坐像(国重文)、木造毘沙門天立像(県重文)、木造地蔵菩薩坐像、伝三浦為継とその一党の廟所(市重文)、石造板碑(市重文)
アクセスJR「衣笠駅」下車、衣笠十字路より野比行バス10分「満昌寺前」下車、徒歩5分

清雲寺、伝三浦為継とその一党の廟所。とても凄みがあります。中央が三浦為継、左右いずれかが為通、義継のもの。もともとは為継の墓と伝わる五輪塔がこの地にあり、廃寺となった円通寺から為通、義継を移し、三代の廟所となりました。

清雲寺、伝三浦為継とその一党の廟所。とても凄みがあります。中央が三浦為継、左右いずれかが為通、義継のもの。もともとは為継の墓と伝わる五輪塔がこの地にあり、廃寺となった円通寺から為通、義継を移し、三代の廟所となりました。

武勇を誇った三浦為継のために子の義継が建立

1104年(長治元年)、68歳で死んだ源義家の最晩年にあたるころ、源頼朝挙兵に散った三浦義明の父である三浦義継が『奥州後三年記』に「同国のつはもの~聞えたかき者なり」と武勇の誉れ高い父為継のために建立したお寺です。清雲寺には為通、為継、義継と三代の廟所があります。

もともと清雲寺には2代為継の墓と伝わる五輪塔があり、1939年(昭和14年)に廃寺となっていた円通寺(横須賀市大矢部2)裏山のやぐら群の中にあった為通、義継の墓といわれる五輪塔をここに移転し、三浦市三代の廟所となりました。

長い長い年月を経て自然と一体化した五輪塔の様はとても静かに美しく、手を合わせ、深く冥福を祈らずにはいられない迫力があります。

三浦氏三代廟所の前には、「石造板碑 文永八年在銘」という石像板碑があります。板碑は石製塔婆のことです。これももともと円通寺の裏山にあった三浦氏墳墓と伝えられたやぐら群の最上部にあったものです。二月騒動で死亡した佐原盛信が父光盛の十三回忌に供養したものと記されています。

桓武天皇の末裔、相模の雄族・三浦氏の系譜

源頼朝による武威の王国「鎌倉」創成にとって三浦氏は大きな力となりました。三浦氏の祖、村岡(三浦)平太夫為通は源頼義に従って前九年の役を戦った功により1063年(康平6年)源頼義より三浦の地を与えらたことから三浦姓を名乗り、衣笠城を築きました。以来源氏の臣下として活躍することとなります。

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清雲寺付近にはいくつもの三浦一族関連史跡があります。鎌倉の史跡とあわせてこちらをご覧ください。

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