瀧不動堂

目 次

瀧不動堂

(たきふどうどう)

源頼朝に鎮護国家を託された名将の足跡

人の手垢に汚れてないといいますか、少しでも人の匂いに巻かれることなく古の名将の足跡に思いを馳せる。知性の自由を楽しめる方にはなんとも魅力的な場所だと思います。源頼朝の遺言に国家鎮守を託された名将、畠山重忠が現在の葉山町に残した足跡です。

不動滝を過ぎて上っていくと、緑に囲まれた御堂がみえてきます。

不動滝を過ぎて上っていくと、緑に囲まれた御堂がみえてきます。

エリア逗子・葉山
住 所神奈川県三浦郡葉山町木古庭小字大沢926(本圓寺管理)
開 基畠山重忠
アクセスJR「逗子駅」もしくは「衣笠駅」よりバス「境橋」もしくは「不動橋」下車、徒歩10分

衣笠城合戦に勝利した畠山重忠が戦勝を祈願した不動明王を勧請した不動堂です。畠山重忠は不動明王を篤く信仰していました。源頼朝の右腕として伝説的な活躍をした重忠でしたが、頼朝挙兵当初は父重能が大番役として京都にいたことから当時17歳の重忠は平氏方として出陣します。1180年(治承4年)8月、石橋山の敗戦を聞いて衣笠城に籠城した三浦一族を攻めるため畠山重忠らが衣笠城攻めに向かいました。

重忠は衣笠城から直線距離にして約4km、現在の神奈川県三浦郡葉山町木古庭の北端にある畠山という標高208mの小高い山に本陣を構え、そこに守り本尊としていた不動明王を安置して戦勝を祈ったそうです。

衣笠城合戦に勝利した重忠は現在の県道27号を挟んで反対側にある大沢の滝谷山にこの像を安置し不動明王を勧請しました。不動堂は木古庭の鎮守として古くから地域の人々の信仰を集めてきました。第二次世界大戦の際には召集された者は必ず参詣し、無事帰還した者は報告に詣でたといいます。御本尊の不動明王像は高さ32cmの木造です。境内一帯は葉山町の天然記念物に指定されている豊かな自然であり、大きな紅葉は特に見事です。

本堂前には「畠山次郎重忠公一族郎党の霊」と刻まれた供養塔があります。里人たちが長く畠山重忠の人徳を偲んでることが伺われます。呼び名はいくつかあり、「不動堂と不動滝」、「瀧不動堂」、「木古庭不動尊」、「木古庭滝不動尊」などです。現在は木古庭の日蓮宗本圓寺が管理しています。

畠山重忠が不動明王を勧請すると、一夜のうちに山から清水が湧き出て滝になりました。この滝は100日の旱魃でも枯れる事無く、江戸宝永年間の大旱魃においては、この不動明王に祈ったところ湧き水はさらに量を増して地域の人々を救ったそうです。この霊験に感謝した領主は寄進を行ったと記録があるそうです。不動滝は現在でも渾々と清水が流れています。

木古庭の瀧不動堂にいくには、「境橋」というバス停を降ります。逗子駅からバスに乗車した場合には進行方向に少し歩き、ガソリンスタンド手前の道を右折し木古庭大沢橋を渡っていきます。ちなみに、この付近には2つの大沢橋があり、ひとつは木古庭、もうひとつは上山の大沢橋です。どちらからでも瀧不動堂へいくことはできますが、わかりやすいのは木古庭の大沢橋です。

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