若宮大路幕府跡

目 次

若宮大路幕府跡

(わかみやおおじばくふあと)

4代藤原頼経以後、幕府滅亡まで将軍御所(幕府)があった場所

1236年から鎌倉幕府が滅亡する1333年迄の97年間、この地に幕府がおかれました。鶴岡八幡宮の前を通る横大路から少し入ったところに石碑があります。

エリア駅周辺・八幡宮
住 所鎌倉市雪ノ下1丁目
アクセス「鎌倉駅」下車、徒歩10分

若宮大路幕府跡

細い路地にひっそりと立つ若宮大路幕府跡の石碑。

鎌倉幕府の所在地は3か所あります。頼朝が開いた大倉幕府(1180-1225)、実朝死後、4代将軍藤原頼経が執務した宇都宮辻子幕府(1225-1236)、4代将軍藤原頼経から最後の9代将軍守邦親王まで続いた若宮大路幕府(1236-1333)の3つです。

若宮大路幕府跡は、鎌倉駅から若宮大路の鶴岡八幡宮に向かって右側の道を歩き、鎌倉雪ノ下郵便局を過ぎたら右手の細い道に入ります。途中の二股は右へと進むと大佛茶廊を越えたあたりに石碑があります。

源氏将軍3代の後、摂関家から4代将軍藤原頼経を迎え、当時の執権北条泰時は北条政子の死去などもあり、幕府を宇都宮辻子に移転しますが奇異が続くなどしたためわずか11年で若宮大路に移転します。

この若宮大路幕府にて鎌倉幕府滅亡までの97年間、執政が行われました。北条時頼が幕府黄金を迎えたのも、北条時宗が元寇に立ち向かう評定を開いたのもこの場所でした。

1236年(嘉禎2年)8月4日、新造された若宮大路御所(幕府)に移転が行われ、12月19日には執権北条泰時も御所(幕府)のとなりに新造した邸に移ったと『吾妻鏡』には記されています。

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