三大神勅

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三大神勅

鎌倉見物につきものの神社仏閣巡りは、いろいろなことに気付かされます。

特に神社を訪れると、学校で日本の神々についてきちんと習った記憶がないことに気がつき、自分に根っこがないような悲しい気分になります。建国以来不断に更新されてきた2677年の日本史において、外国との全面戦争に初めて国土を蹂躙されるほどに敗北した後の、極めて珍しい時代に生まれてしまったからに違いありません。

GHQが占領政策として、神社への集団参拝、剣道、柔道、弓道、書道を禁止したり、WGIP(War Guilt Information Program)といって、罪など無い自衛の戦争である大東亜戦争に、悪の侵略戦争と虚偽のレッテルを貼り、日本人に日本を否定させるプログラムを行なった効果です。ついでに愚痴れば、Japanという言葉やめましょう。そんな国はない。日本です。

日本は高天原(たかまがはら)から天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨したことに始まります。その時、天照大神が瓊瓊杵尊に持たせた言葉があり、「三大神勅(さんだいしんちょく)」と言われています(日本書紀の第7詔、第11詔、第13詔)。これを心に携えれば、日本人として根っこのないような悲しい気分からはかなり解放されます。

キリスト教は罪を犯して神の国を追われることから始まりますが、現在に現実に続く神話を生きる唯一の民族、日本の天孫降臨(三大神勅)では、まったく違います。豊かな国土と大御宝である民を大切にし、神鏡を天照大神と思って常に王として慎み深く自分を戒め、天上から授けられた稲穂をもって豊かに暮らしなさい、といっています。

〈天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅〉

豊葦原の千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、是、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無(な)けむ。

永く葦の原が広がる豊かな瑞穂の国は、わが子孫の王たるべき地である。我が孫(ににぎのみこと)よ、行って治めなさい。皇(すめらみこと)の君威をゆきわたらせなさい。大御宝(おおみたから)である民が栄えること天地の際限ないところである。

〈宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅〉

吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、斎鏡をすべし。

吾(あ)が児(みこ)、此(こ)の宝鏡(かがみ)を視(み)まさむこと、当(まさ)に吾(あれ)を視るがごとくすべし。興(とも)に床(みゆか)を同じくし殿(みやらか)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いわいのかがみ)と為(な)すべし。

わが子(ににぎのみこと)よ、この宝鏡(八咫鏡)を視ること、まさに吾(天照大神)をみるがごとくしなさい。同じ床、同じ建物に安置して、神鏡としなさい。

〈斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅〉

吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。

吾(あ)が高天原(たかまがはら)に所御(はらにきこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(ほ)を以(もっ)て、亦吾(またあが)が児(みこ)に御(まか)せまつるべし。

天照大神の住む天上の国に作る神聖な田の稲穂を、我が子(ににぎのみこと)に授けましょう。

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そろそろ平成も終わりそうです。昭和から平成になる時も元号廃止論を唱える輩がおり、NHKや大手メディアは女性宮家とからめて「新しい皇室」などという使いやすいコピーを流布させ、世界で唯一稀有のY遺伝子を神話の時代から受け継いだ日本の皇室を壊そうとしています。つまり、文字通りの外道です。
日本は、皇室とその宝の民が、三大神勅に始まるように、日本を高天原にするという目標を2677年間変わることなく貫いているわけですから。彼ら外道が画策するところの「新しい皇室」は必要ありません。
天皇陛下とその臣民たる日本人はこれからも未来永劫、三大神勅を心に携え、豊葦原の千五百秋の瑞穂国である日本を高天原にすべく歩んでいくのです。

三大神勅を携えて鎌倉散歩をすると、そのような日本の歴史の中で、源頼朝という稀有な武者がこの小さな鎌倉という街を中心にして日本の政体を大きく変える「鎌倉」というものを創成し、800年以上を経た今日の我々が、その足跡を間近に感じることができます。そして、いま、歩いている自分もまた同じ日本の歴史の中にいることを逞しく感じるのです。歴史ロマンなんかじゃありません。これが現実です。