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鎌倉の史跡リスト

鎌倉七切通し

一方を海に、三方を小高く峻険な山に囲まれた鎌倉には山を切り開いた「切通し」というわれる道がいくつもあり、鎌倉七切通しなどと呼ばれます。古道の趣を残すいくつかの切通しは鎌倉らしい史跡として、また手軽なハイキングコースとして人気があります。

朝比奈切通し 鎌倉の東端、十二所から六浦方面に抜けます。自然と歴史豊かな切通し。
名越切通し 鎌倉/逗子/横浜方面と広範囲。古道の趣が深い切通し。
大仏切通し 火の見下やぐらもある山中の切通し距離は短かめ。
化粧坂切通し 扇ガ谷と源氏山を繋ぐ切通し。短いながらも古道らしい道です。
巨福呂坂切通し 雪ノ下と山ノ内を通します。山ノ内方面発展の基礎となった。
亀ヶ谷坂切通し 扇ガ谷から北鎌倉の長寿寺脇に出ます。舗装道路です。
極楽寺坂切通し 極楽寺から坂ノ下へ。舗装道路の短い切通し。

源頼朝と源氏ゆかりの史跡

鎌倉は源頼朝によって「鎌倉」という類まれなる地となりました。源氏と鎌倉の繋がりは頼朝から遡ること5代、平安末期の当主、源頼信・頼義の時代に始まります。知れば知るほど深く、濃く、逞しくなり、そして楽しくもなるのが鎌倉のよいところです。

源氏山公園 源義家は後三年の役にあたって源氏山において戦勝祈願をしました。
石橋山古戦場 治承4年(1180年)8月23日〜24日、挙兵直後の源頼朝が大庭景親率いる平氏勢と戦った場所。
勝長寿院跡 源頼朝が平治の乱に敗死した父義朝を供養するために創建。
段葛 源頼朝により造られた施設。横須賀線開通のため二ノ鳥居以降が撤去。
大倉幕府跡 源頼朝が御所とし頼家、実朝と源氏3代の将軍が政務をとった場所。
永福寺跡 奥州合戦の戦没者を弔うために源頼朝が創建した大寺院の跡。
源頼朝の墓 日本史上類い稀な傑物、源頼朝が眠ります。
源頼朝上陸の地 石橋山合戦に敗れた源頼朝は海路を敗走、ここ安房の猟島に上陸し、再起。「鎌倉」を創り上げていきます。
源頼朝船出の浜 石橋山合戦に敗れた源頼朝は、ここ、真鶴の岩海岸から安房に向けて船出しました。
六角ノ井 源頼朝の父義朝の兄弟、身長2m超にして怪力を誇った伝説の武将、源為朝ゆかりの井戸。
歌ノ橋 鎌倉幕府源氏最後の将軍、源実朝ゆかりの井戸。歌人として名高い実朝らしい史跡。
大慈寺跡 源実朝が鎌倉市十二所に建てた大寺院。明王院の東側一帯を有する大寺院だったようです。
鶴岡八幡宮 源頼朝の祖先、源頼義が勧請。頼朝が現在の地に移しました。
由比若宮(元八幡) 源頼義がは当初ここに岩清水八幡宮を勧請。
甘縄神明神社 源頼義はこの社に祈願して義家を授かったといわれます。
銭洗弁財天 名水、銭洗水によって銭を清める御利益が名高い名所。源頼朝の吉夢を元に創建されました。
佐助稲荷神社 源頼朝に挙兵を促した翁の吉夢に由来する神社。
寿福寺 源頼朝の父、義朝の屋敷があった場所です。
巽神社 平安時代の武を象徴する二人の将軍、坂上田村麻呂と源頼義ゆかりの神社。
おんめさま 大巧寺 かつて梶原景時屋敷内にあり合戦の勝利をよんだといいます。
蛭子神社 鎌倉市小町の鎮守。源頼朝が幕府の鬼門除けに建てた夷堂がこの社の由来です。
荏柄天神社 日本三古天神のひとつ。源頼朝も鎌倉の鬼門の守護に定めました。
杉本寺 鎌倉最古の仏地。源頼朝は幾度も参拝し寄進も行っています。坂東三十三カ所霊場第1番。
来迎寺(材木座) 源頼朝の挙兵に一身を捧げた三浦一族の長、三浦義明の墓があります。
岩殿寺 源頼朝、大姫などが毎年のように参拝した記録が残ります。徳道、行基が仏光を見た霊場です。
森戸大明神 現存する源頼朝創建による数少ない神社の一つ。頼朝の屋敷もこの辺りにありました。
鐙摺城址 未だ配流の身であった源頼朝が訪れた際に鐙を摺ったことから鐙摺の名がついたといいます。
江島神社 源頼朝の奥州征伐祈願のために文覚上人が大弁財天を勧請しました。
満昌寺 源頼朝の命により三浦義明の菩提寺として創建。義明墓や頼朝手植えと伝わる躑躅あり。
海南神社 平安以来の三浦一族祈願所にして三浦半島総鎮守。源頼朝寄進の大銀杏あり。
見桃寺(桃の御所跡) 源頼朝が三崎に建てた三御所の一つ、桃の御所跡に建つ寺院。
本瑞寺(桜の御所跡) 源頼朝が三崎に建てた三御所の一つ、桜の御所跡に建つ寺院。
大椿寺(椿の御所跡) 源頼朝が三崎に建てた三御所の一つ、椿の御所跡に建つ寺院。
本蓮寺 源頼朝が鎌倉に届いた父義朝の遺骨をこの地において受け取り供養したといいます。
石橋山古戦場 治承4年(1180年)8月23日〜24日、挙兵直後の源頼朝が大庭景親率いる平氏勢と戦った場所。小田原にあります。
天津神明宮 源頼朝と日蓮にゆかりの深いお寺。千葉県の外房、鴨川市にあります。

三浦一族の史跡

衣笠城を本拠地とした桓武平氏の三浦一族は源頼朝挙兵に従い、北条氏と肩を並べる大勢力でした。もともと古代から三浦半島に勢力を持ったとされ、前九年の役に活躍し源頼義より相模国三浦を与えられたといいます。

満昌寺 源頼朝が三浦義明の菩提を弔うため建立。三浦義明廟所。三浦大介義明坐像。
三浦義明の墓(来迎寺) 源頼朝の挙兵に一身を捧げた義明のために頼朝が建立。
三浦泰村供養塔(法華堂跡) 宝治合戦に敗れた雄族、三浦一族最期の地です。
和田塚 北条氏に敗れた三浦氏の支族、和田一族250余名が自害しました。
住吉城址 南北朝期に再興した三浦氏の城。北条早雲に滅ぼされました。
清雲寺 源頼義時代から三浦の地に栄えた桓武天皇の末裔、三浦3代の廟所。
近殿神社 源頼朝挙兵以来の宿老として活躍した三浦義村を祀ります。
浄楽寺 三浦義明の孫、侍所別当和田義盛の建立。勝長寿院の本尊を安置。
三浦十二天(十二所神社) 三浦義明の弟、三浦為清ゆかりの仏地。横須賀市芦名にあります。
衣笠城址 三浦一族の居城。衣笠城合戦の舞台です。
薬王寺跡 平治の乱から源頼朝挙兵、幕府創成に活躍した三浦一族の当主、三浦義澄が眠ります。
近殿神社 三浦一族6代目の当主、源頼朝挙兵以来の重鎮、三浦義村を祀ります。
満願寺 鵯越の一番乗り、三浦義明の子、佐原十郎義連の創建による寺院。
本瑞寺 源頼朝が三崎に建てた桜の御所跡に、戦国初期に再興された三浦氏の菩提寺を鎌倉から移したそうです。
和田義盛旧里碑 三浦義明の孫、和田義盛が本拠地とした場所です。義盛といえば初代侍所別当として後世に名を残しています。
和田城址 和田義盛の居城址です。地名に名が残り、往時を偲ばせます。やはり地名は大切にしないといけません。

五十音順一覧

あ行

青砥藤綱邸跡 権力の横暴を許さず道理を重んじた鎌倉時代の名人物の足跡。
朝比奈切通し 鎌倉の東端、十二所から六浦方面に抜けます。自然と歴史豊かな切通し。
足利公方邸跡 無粋な近代西洋的建築の間に、壮大な室町〜戦国の東国史を垣間見る。
安達盛長邸跡 伊豆配流時代から源頼朝を支えた側近、安達盛長の屋敷跡。源頼朝も頻繁に訪問。
阿仏尼邸跡 十六夜日記の作者、冷泉為相の母、阿仏尼が住んだ場所。月影ヶ谷。
鐙摺城址 源頼朝、三浦一族とゆかりのある葉山の小さな山。いい場所です。
石橋山古戦場 治承4年(1180年)8月23日〜24日、挙兵直後の源頼朝が大庭景親率いる平氏勢と戦った場所。
一ノ鳥居(浜の大鳥居) 鶴岡八幡宮3つの大鳥居の中でも江戸初期の姿を残す貴重なものです。
稲村ヶ崎 鎌倉の堅守に苦戦した義貞が海を越えた伝説の奇襲。歴史を感じる史跡。
犬懸橋 この橋の奥にかつて犬懸上杉家の屋敷がありました。
宇都宮辻子幕府跡 源実朝死後、第4代将軍藤原頼経が1225年から1236年まで政務をとる。
扇ガ谷上杉管領屋敷跡 室町時代、関東を支配した扇ガ谷上杉家の屋敷跡。
大江広元の墓 源頼朝を支えた知謀の将。承久の乱をも勝利に導いた人。
大江広元屋敷跡 源頼朝、知謀の懐刀大江広元の屋敷があった場所。静かな風情が知将にあいます。
大倉幕府跡 源頼朝、頼家、実朝と源氏3代45年間の御所となった史跡。
太田道灌屋敷跡 室町後期に活躍した鎌倉随一の名将、太田道灌の屋敷はここにありました。
大町釈迦堂口遺跡 かつては北条時政邸跡といわれた遺跡。調査の結果、大きな寺社の跡と推定されています。
御成小学校の看板 鎌倉に長く住んだ俳人、高浜虚子の筆。

か行

景清窟 源平合戦における平氏方の勇猛な武将として名をはせた藤原景清が幽閉された場所。
梶原景時屋敷跡 幕府創成に多大な貢献を果たした名将。静かな十二所にあります。
上総広常屋敷跡 朝比奈切通しの入口あたり、要衝の地にあります。
鎌倉市川喜多映画記念館 東宝東和の創設者川喜多長政の旧邸宅跡にあります。
〈鎌倉十橋〉歌ノ橋 和歌により実朝に赦免された渋川兼守が恩に報いるために建立。
〈鎌倉十橋〉夷堂橋 源頼朝が鬼門除けに建てた夷堂があった。現在夷堂は本覚寺境内に再建。
〈鎌倉十橋〉勝ノ橋 英勝寺開基、徳川家康側室の勝の局が架けた橋。現在は石碑のみ。
〈鎌倉十橋〉裁許橋 近くに幕府の問注所があったためこの名がつきました。
〈鎌倉十橋〉逆川橋 大町四ツ角付近、川が逆行しているように見えることから逆川橋。
〈鎌倉十橋〉十王堂橋 北鎌倉駅の側。かつてこの付近に薬師堂と十王堂がありました。
〈鎌倉十橋〉筋替橋 主要道路が交差し、幕府の主要施設が密集する場所にあった橋。
〈鎌倉十橋〉針磨橋 付近に針を磨く老婆がいたからとか。極楽寺から稲村に向かうとあります。
〈鎌倉十橋〉琵琶橋 その昔、琵琶小路と呼ばれた道に架かっていたそうです。
〈鎌倉十橋〉乱橋 みだればし。新田軍に攻められた幕府軍が乱れ始めた場所と伝わる。
〈鎌倉十井〉泉ノ井 浄光明寺の少し先にあり、今でもきれいな水が湧き出ています。
〈鎌倉十井〉甘露ノ井 浄智寺山門の前にあり風情良し。井戸の水は池となり鯉が泳ぎます。
〈鎌倉十井〉鉄ノ井 かつてあった新清水寺の本尊が江戸時代にこの井戸から掘り出されました。
〈鎌倉十井〉底脱ノ井 安達泰盛の娘がこの井戸で水を組むと水桶の底が脱け、解脱を得ました。
〈鎌倉十井〉銚子ノ井 名越坂にあり、井戸枠の端がお銚子の口に似ていたことから。
〈鎌倉十井〉瓶ノ井 明月院境内にある現役に井戸。内部が水瓶のように見えることが名の由来。
〈鎌倉十井〉星月ノ井 天平年間、行基菩薩が井戸の底に虚空蔵菩薩の姿を見た伝説の井戸。
〈鎌倉十井〉六角ノ井 伝説の武人、源為朝が伊豆大島から放った矢により水が湧き出たという。
鎌倉文学館 300人を超える鎌倉文士を知る。加賀百万石、旧前田侯爵邸です。
亀ヶ谷坂切通し 扇ガ谷から北鎌倉の長寿寺脇に出ます。舗装道路です。
唐糸やぐら 源頼朝の暗殺を計り捕らえられた木曽義仲の家来、手塚光盛の娘 唐糸が幽閉されたやぐら。唐糸草子の舞台。
木曽塚 木曽義仲の嫡子、義高の墓所といわれています。内乱に翻弄された悲運の人です。
衣笠城址 横須賀の何のことはない山にあります。日本の歴史を動かした激動の舞台。
衣張山巡礼道(衣張山ハイキングコース) 源頼朝ゆかりの巡礼道。ハイキングコースとしても楽しめます。
旧安保小児科医院 大正15年に建てられ平成7年まで医院として現役だった建物。
旧石井家住宅 江戸時代初期に建てられた神奈川県下特有の民家が残ります。身土不二の美しさ。
旧華頂宮邸 昭和4年旧華頂宮博信侯爵邸として建てられた洋館。報国寺の側にあり。
虚子庵址 鎌倉文士の最初、鎌倉-東京通勤の走りでもある俳人・高浜虚子の庵址。
葛原岡・大仏ハイキングコース 北鎌倉から源氏山を越えて鎌倉大仏へと至る名所・旧跡盛りだくさんのコース
化生窟と御硯水 立教開宗し、鎌倉へと入った日蓮が最初の一夜を過ごした場所。
化粧坂切通し 扇ガ谷と源氏山を繋ぐ切通し。短いながらも古道らしい道です。
源氏山公園 源義家は後三年の役にあたって源氏山において戦勝祈願をしました。
高祖井戸 安房(千葉)にて立教開宗し鎌倉へと向かった日蓮の足跡(葉山)。
極楽寺坂切通し 極楽寺から坂ノ下へ。舗装道路の短い切通し。

さ行

実朝歌碑(国宝館前) 関東大震災で倒壊した江戸時代の鳥居を再利用して造られています。
実朝歌碑(由比ガ浜) 海沿いの坂ノ下地区海浜公園に実朝の歌碑があります。
日月やぐら 釈迦堂切通しの上あたりにあるやぐら。極めて珍しい形式で造られています。
釈迦堂切通し 趣深い洞門が鎌倉を代表するような景観をつくっていた切通し。現在は通行止め。
主馬盛久(平盛久)頸座 あの謡曲「盛久」の舞台がここです。やっぱり鎌倉はいい。
十一人塚 新田義貞軍と幕府軍の極楽寺坂における激戦を伝える。
勝長寿院跡 源頼朝が平治の乱に敗死した父義朝を供養するために創建。
神苑牡丹園 鶴岡八幡宮境内、源氏池を囲むように寒牡丹が咲きます。
住吉城址 南北朝期に再興した三浦氏の城。北条早雲に滅ぼされました。

た行

大慈寺跡 源実朝が1214年に創建した寺院跡。明王院の東側一帯にありました。
大仏切通し 火の見下やぐらもある山中の切通し距離は短かめ。
段葛 源頼朝により造られた施設。横須賀線開通のため二ノ鳥居以降が撤去。
長楽寺跡 現 鎌倉文学館の地にあった大寺院。北条政子が源頼朝の菩提を弔うために建立。
天園ハイキングコース 鎌倉最高地点大平山を含み7つ以上出入口を持ちます。
道元禅師顕彰碑 道元禅師は北条時頼に招かれて鎌倉での布教を行いました。
東勝寺跡 北条得宗家の氏寺として繁栄を極め、その最後の地ともなった史跡。
東勝寺橋 新田軍に攻められ東勝寺へと逃げる北条一族も渡ったことでしょう。
土佐坊昌俊邸跡 策略上、死を覚悟した義経襲撃を引き受けた武将の屋敷跡。

な行

名越切通し 鎌倉/逗子/横浜方面と広範囲。古道の趣が深い切通し。貴重な史跡です。
西御門サローネ(旧里見弴邸) 人気作家だった里見弴が思いを込めた和洋折衷の邸宅。
日蓮雨乞いの池 干ばつに苦しんだ時、日蓮がこの地で雨乞いすると大雨に恵まれました。
日蓮袈裟掛の松跡 龍ノ口刑場にひかれる日蓮、袈裟が汚れるとこの地の松にかけました。
日蓮乞水 1253年鎌倉へと向かう日蓮が喉の渇きを覚え杖を突き刺すと水が湧きました。
日蓮上人辻説法跡 1253年鎌倉に入った日蓮は1274年までの21年間、鎌倉にて布教します。

は行

畠山重忠邸跡 源頼朝が最も頼りにした伝説の勇者。怪力にして文武に優れる。
畠山重保邸跡と墓塔 稀代の名将、畠山重忠の嫡男 重保の邸跡であり、鎌倉有数の墓塔もあり、
畠山城址 日本が激動した治承4年の衣笠城合戦、畠山重忠が搦手の陣を敷いた場所。
日野俊基の墓 後醍醐天皇の側近として倒幕に活躍した日野俊基の墓。
火の見下やぐら 大仏切通しの出入口付近にあり、迫力のある場所です。
藤原仲能の墓 鎌倉幕府摂関家将軍の重臣として活躍した人物です。鎌倉幕府の要職を務めました。
百八やぐら群 覚園寺裏、標高110m付近の山中に約180のやぐらがあります。圧巻の史跡。
北条氏常磐邸跡 北条一族の有力者が別邸を構えた重要な史跡。
北条高時 腹切りやぐら 北条高時と一族がこの地で自害。鎌倉幕府は滅びます。
北条義時の墓 源頼朝亡き後の鎌倉を支配した男の墓。朝廷をも屈服させました。

ま行

満昌寺 源頼朝の命により三浦義明の菩提寺として創建。義明墓や頼朝手植えと伝わる躑躅あり。
まんだら堂やぐら群 中世のやぐらが多数残ります。逗子市により整備中。
三浦泰村供養塔 挙兵以来の雄族、三浦氏が滅亡した場所。宝治合戦の史跡。
三浦大介腹切の松 源頼朝の挙兵を成就に導いた三浦一族の当主、三浦大介義明自害の地。
源頼朝の墓 日本史上類い稀な傑物、源頼朝が眠ります。
源頼朝上陸の地 石橋山合戦に敗れた源頼朝は海路を敗走、ここ安房の猟島に上陸し、再起。「鎌倉」を創り上げていきます。
源頼朝船出の浜 石橋山合戦に敗れた源頼朝は、ここ、真鶴の岩海岸から安房に向けて船出しました。
明月院やぐら(羅漢洞/明月院境内) 鎌倉時代のやぐらとして最大級のもの。
紅葉山やぐら 北条得宗家の屋敷内であり、その納骨やぐらといわれる史跡。
護良親王の墓 鎌倉宮に祀られる倒幕の雄、護良親王の墓所。幽玄な場所。
文覚上人屋敷跡 映画『地獄門』の主人公、怪僧文覚の屋敷といわれる史跡。
問注所跡 平氏追討を目前に「鎌倉」の基盤整備に務める頼朝はこの地に問注所を設置しました。

や行

薬王寺跡 三浦義明の子、義澄の墓所。北条氏を抑えつけた三浦一族の当主。
行合橋 龍ノ口法難の奇跡を伝える使者と赦免を伝える幕府の使者が行き合った。
永福寺跡 奥州合戦の戦没者を弔うために源頼朝が創建した大寺院の跡。

ら行

六地蔵 付近にあった刑場において処刑された者たちの霊を弔うために建てられました。

わ行

和賀江嶋 北条泰時の遺構ともいえる施設。現存する最古の港湾施設。
若宮大路幕府跡 1236年から1333年に鎌倉幕府が滅亡するまで幕府がおかれる。
和田城址 鎌倉創成を武の面から支えた初代侍所別当、和田義盛の本拠城。
和田塚 北条氏に敗れた三浦氏の支族、和田一族250余名が自害しました。
和田義盛旧里碑 鎌倉の武の長官、初代侍所別当を務めた和田義盛の本拠地。

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