主馬盛久(平盛久)頸座

謡曲「盛久」の舞台

壇ノ浦の戦いに敗れて滅亡した平氏。平氏の武将であった平盛久は捕らえられ、鎌倉に護送されます。由比ケ浜で処刑される寸前、観音菩薩の奇跡がおこり盛久は源頼朝により助命されます。

エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市長谷1-7-2
アクセス江ノ電「由比ケ浜駅」下車徒歩4分、「鎌倉駅」から徒歩は18分

主馬盛久(平盛久)頸座。六地蔵を曲り、長谷観音に向かって歩くと右手に見えてきます。

主馬盛久(平盛久)頸座。六地蔵を曲り、長谷観音に向かって歩くと右手に見えてきます。

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名高い平氏の武将

平盛久は平氏の武将として源頼朝と戦いました。盛久の父、盛国も平清盛の側近であり累代の平氏家臣です。1185年(文治元年)3月24日平氏は壇ノ浦に滅び、逃亡していた盛久も捕まり鎌倉へと護送されます。父盛国も平氏の総大将平宗盛とともに捕らえられ、こちらも鎌倉へと護送されました。

翌1186年(文治2年)6月28日、捕らえられていた盛久はいよいよ由比ケ浜のこの場所で処刑されることとなりました。いざ処刑の瞬間、持っていた経巻が光を発し処刑人の目は眩み刀は二つに折れてしまいました。

昔は現在の一ノ鳥居付近まで浜が広がっていたといいますから、この辺りも広い浜が眼前に広がっていたことでしょう。

謡曲に謡われた、盛久と頼朝

盛久は京都清水寺の観世音菩薩を篤く信仰しており、処刑前夜には観世音の霊夢を見ました。これをきいた源頼朝は盛久をまねき、自分も同じ夢を見たからこれは観世音のお告げであるといって命を助けました。謡曲史によれば、この時盛久は頼朝に所望され舞を舞ったといいます。

源頼朝は盛久と同じ京都清水寺の観世音を護持しており、これが同じ夢の話につながります。また、法華経を篤く信仰しており、伊豆配流時代も写経を欠かさずに続けたと記録が残ります。盛久の父、盛国は捕らえられてから処刑されるまで法華経を読誦し続けたといわれ、処刑後にこれを聞いた頼朝は後悔したといいます。

この頸座は謡蹟として知られます。謡曲「盛久」、蘭曲「東国下」に謡われ、上野公園にある清水観音堂には盛久の護持仏であった千手観音像が安置されています。

東京から鎌倉へと来られる方は行きし、もしくは帰りしなに上野公園に寄られるのも一興かと思います。

ちなみに、タイトルの主馬(しゅめ)というのは、馬を管理する役目のことであり、旧宮内省にも皇族の馬車、牧場、輸送に関する事務を司る主馬寮がありました。

主馬盛久(平盛久)頸座フォトギャラリー

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