長楽寺跡
目 次
長楽寺跡
(ちょうらくじあと)
源頼朝の菩提を弔うため、北条政子が建立した安養院の前身
現在、鎌倉文学館となっている場所には、源頼朝の菩提を弔うために北条政子が建立した長楽寺という大寺院がありました。鎌倉文学館受付前に「長楽寺跡」の石碑が残されています。
長楽寺跡。源頼朝の菩提を弔うために北条政子が建立しました。現在は鎌倉文学館となっています。
エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市長谷1-5-3(鎌倉文学館内)
アクセス江ノ電「由比ヶ浜駅」下車、徒歩7分
現在、鎌倉文学館となっている場所には、源頼朝の菩提を弔うために北条政子が建立した長楽寺という大寺院がありました。鎌倉文学館受付前に「長楽寺跡」の石碑が残されています。
神奈川県鎌倉市長谷1丁目5−3
躑躅(ツツジ)の名所として知られている安養院の前身となった寺院。長谷にある鎌倉文学館の敷地内に「長楽寺跡」の石碑があります。この場所には1225年(嘉禄元年)、源頼朝の菩提を弔うために北条政子が建立した長楽寺があり、1333年5月、新田義貞による鎌倉攻めの戦火によって焼失しました。
1225年(嘉禄元年)に創建された長楽寺は800メートル四方に七堂伽藍が建つ大寺院でした。1333年(元弘3年)に新田義貞の鎌倉攻めの戦火により焼失すると、これも戦火に巻き込まれて焼失した大町の善導寺跡地へと移され、安養院として現在に至っています。
長楽寺の跡地はその後、1891年(明治23年)頃、前田家第15代当主、前田利嗣が手に入れ日本建築の館を建てますが1911年(明治43年)に焼失し、洋風建築として再建、1923年(大正12年)の関東大震災による倒壊後にまた建てなおされ、さらに第16代前田利為により現在の姿に改修されました。
第2次大戦後には佐藤栄作首相の別荘となり、1985年(昭和60年)以降、前田家別邸の外観を損なわないよう補強工事を施し市民が訪れることのできる鎌倉文学館となっています。