収玄寺

(しゅうげんじ)

日蓮に深く帰依した四条頼基邸跡に建つ寺院

日蓮四大法難の一つ、龍ノ口法難において日蓮とともに殉死を覚悟したという、北条(江間)光時の家臣、四條金吾頼基の屋敷跡に建てられた寺院です。東郷平八郎元帥の揮毫が残ります。

収玄寺本堂。

収玄寺本堂。

エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市長谷2-15-12
宗 派日蓮宗
本 尊十界曼荼羅
創 建文政年間(1818-1829)
開 基日勇
アクセス江ノ電「長谷駅」下車、徒歩2分

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北条(江間)光時に仕えた四條金吾頼基(1224-1296)の屋敷跡に建てられた日蓮宗の寺院。江ノ電「長谷駅」を降りて長谷寺へと向かう途中、道路沿い左手にあります。

四條金吾頼基の金吾とは、頼基の官位、左衛門尉の唐名。頼基は日蓮の有力な檀越(檀那、布施者)であり、法名は日頼といいました。日蓮に深く帰依した頼基は日蓮四大法難の一つ、龍ノ口法難(1271年)の際、日蓮とともに殉死を覚悟するほどでした。

頼基の滅後、捨身護法、法華色読の霊地として、時代を下った文政年間(1818-1829)に収玄庵として創建され、大正初期、本堂を改築し収玄寺となりました。

境内には東郷平八郎元帥の揮毫による「四条金吾邸址」の大きな石碑、中興の祖、日勇の石碑があります。また、こじんまりとした境内には四季折々に咲く花木が植えられています。

開基の日勇(1604-1651)は京都に生まれ、京都市山科区にある護国寺(山科檀林)を開山した江戸時代の僧侶です。

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