法勝寺

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法勝寺

(ほっしょうじ)

源義朝の邸宅跡とされる古刹

JR「東逗子駅」周辺の逗子市沼間一帯は、その昔沼浜郷と呼ばれ武士の屋敷がいくつかあったそうです。「鎌倉」を開いた源頼朝の父、義朝の邸宅は法勝寺のあたりにあったといわれています。

エリア逗子・葉山
住 所神奈川県逗子市沼間4-1-1
創 建8世紀/13世紀末
アクセスJR「東逗子駅」下車、徒歩5分

法勝寺境内。

法勝寺境内。

 

天平年間に遡る由緒と大蛇伝説

逗子市沼間、JR東逗子駅近くにある日蓮宗の寺院。もともとは、田越川最上流、長尾山の麓にあった善応寺に始まり、感応寺、正覚寺と寺名を変え鎌倉時代に日蓮宗に改宗して法勝寺と改められました。法勝寺の山の上にある天台宗の古刹、神武寺と並ぶ歴史を持っているといわれています。
法勝寺の興りは、長尾山の麓に住んでいた七頭の大蛇を岩殿寺や神武寺を訪れていた行基菩薩が退治し、現在本堂に安置されている十一面観音像を彫ったことに始まるといわれています。

源頼朝の父 義朝の邸宅跡と伝えられる場所

筆者が法勝寺に惹かれるのは、平安末期に活躍した名将である源頼朝の父、義朝の邸宅があったのが法勝寺のあたりだといわれているからです。周囲は沼浜郷といわれ、太古の沼浜郷はその名のとおり沼地であり、すぐ近くには海岸線が迫っていたそうです。また、この付近には階段状の平場が多くあり、地名の堀の内などとあわせて武士の館があったことが想像されると境内説明板には記されています。
鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鑑』には次のように沼浜の義朝邸のことが記されています。

『吾妻鏡』にみる義朝の沼浜邸

1202年(建仁2年)2月29日
故大僕卿(義朝)沼濱の御旧宅を鎌倉に壊し渡し、栄西律師の亀谷寺(現 寿福寺)に寄付せらる。 (二階堂)行光これを奉行す。この事、当寺(寿福寺)建立の最初その沙汰有りと雖も、僕卿彼(義朝)の御記念として、幕下将軍(源頼朝)殊にその破壊を修復せらる。暫く顛倒の儀有るべからざる(解体してはならない)の由定めらるるの処、僕卿尼御台所(北条政子)の御夢中に入り示されて云く、吾(義朝)常に沼濱亭に在り。而るに海辺漁を極む。これを壊し寺中に建立せしめ、六楽を得んと欲すと。御夢覚めるの後、(三好)善信(三好善信)をしてこれを記さしめ給い、栄西に遣わさると。大官令(大江広元)云く、六楽は六根楽かと。

付近には見所多数

法勝寺の周辺には「鎌倉」ゆかりの場所を始め名所が点在しています。まず第一は行基菩薩によって724年(神亀元年)に開かれ、山全体が神嶽(こうのたけ)として修験道の霊場とされていた神武寺でしょう。それから、この法勝寺。さらに法勝寺を少しJR「東逗子駅」方面に戻ると、源頼朝の兄弟であり悪源太と呼ばれた源義平の菩提寺とされる光照寺があります。線路を挟んで法勝寺の向かい側には樹齢800年〜1000年という大銀杏がそびえる五霊神社もあります。
歴史を歩いていろいろな事を感じたいけれど、鎌倉はちょっと騒がしいかなという時、鎌倉からもう二駅下り東逗子駅で降りてみてはいかがでしょうか。

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