光照寺

目 次

光照寺

(こうしょうじ)

源頼朝の兄、悪源太義平の菩提寺

源義朝の邸宅跡といわれている一帯にあり、悪源太義平とよばれた源義朝の長男義平を供養するために建てられたと伝わります。

エリア逗子・葉山
住 所神奈川県逗子市沼間2-20-17
創 建不明
アクセスJR「東逗子駅」下車、徒歩5分

光照寺境内。

光照寺境内。

 

源義朝ゆかりの沼浜と法勝寺

平清盛と覇を争い、平治の乱に敗れた源頼朝の父、義朝の鎌倉における邸宅は沼浜郷(現在の逗子市沼間)にありました。おおむね光照寺のすぐ近くにある法勝寺のあたりであったといいます。
そして、この光照寺は源義朝の長男であり、頼朝の兄である義平を供養するために建てられたという寺院と云い伝えられています。現在は真言宗に属しており、創建について正確には不詳とされています。

鎌倉悪源太義平

悪源太義平は源義朝の長男でしたが、母方の血筋のよさから嫡男は頼朝でした。京都で育った頼朝に対して義平は坂東の地で育ち、鎌倉悪源太義平と呼ばれました。「鎌倉悪源太」とは、悪いことをする乱暴者という意味ではなく、鎌倉にいる剛勇な源氏の長男という意味です。
源義朝は平治の乱(1159年)において藤原信頼とともに戦いました。長男である鎌倉悪源太義平が父の援軍として駆けつけたのは、ちょうど藤原信頼が一旦は都を制圧して有頂天となっていた時でした。平清盛は都を離れており、義平はいますぐに阿倍野に出陣し帰京する平清盛を間髪いれずに討ち果たすべきだと進言しますが、信頼は「そんな乱暴なことをしなくてもよい」といって結局は体勢を整えた清盛に敗れることとなります。
この話は源義朝の兄弟である為朝の話としても語られており、真偽の程は定かではありません。しかし、2メートルを超える怪物的な武勇の巨人として伝わる為朝と同じ役割がこなせる、その名のとおり武勇に名高い「悪源太」であったことが伺われます。義平は父義朝が敗れた後、飛騨において兵を集め平清盛を討ち果たすべく六波羅に向かいますが、果たせず、近江国において捕らえられ六条河原で処刑されました。その時、処刑役となった難波経房に対して「貴様は俺ほどの者を斬る程の男か?名誉なことだぞ、上手く斬れ。まずく斬ったら雷となって喰らいついてやる」といったそうです。斬り方がまずかったのでしょう。後に難波経房は雷に撃たれて死んだとという雷伝説が残っています。享年20歳。

木造阿弥陀如来立像

光照寺の御本尊である木造阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の作とされ、神奈川県指定重要文化財に指定されています。以下、逗子市教育委員会の説明板を引用します。
「本尊の木造阿弥陀如来立像は蓮華座の上に立ち、左右の手とも第一、第二指を捻ずる上品下品(じょうぼんげしょう)の印を結んでいます。これは、現世を去り成仏しようとする信者を阿弥陀仏が極楽から迎えに来てくれる際に結ぶ印相で、来迎印とも呼ばれます。
像の構造は寄木造とみられ、眼に玉眼を嵌入し、表面に漆箔を施しています。こうした来迎印を結ぶ、本像と同様の三尺(約90センチ程度)の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に入り、の流行に仏師快慶の作をはじめ、多くの像がつくられています。
本像は、整った顔立ちや、張りの強い面部、リズミカルな衣文表現など、よく中世の写実性を示す作例です。着衣法などが快慶の様式とは異なりますが、慶派の流れをくむ仏師の作と考えられます。鎌倉時代後期(13世紀後半〜14世紀初)の作とみられ、小坪仏乗院の木造阿弥陀如来立像とともに、逗子市内に伝わる同様期の佳作といえます。(像高94.9cm)

『吾妻鏡』にみる義朝の沼浜邸

1202年(建仁2年)2月29日
故大僕卿(義朝)沼濱の御旧宅を鎌倉に壊し渡し、栄西律師の亀谷寺(現 寿福寺)に寄付せらる。 (二階堂)行光これを奉行す。この事、当寺(寿福寺)建立の最初その沙汰有りと雖も、僕卿彼(義朝)の御記念として、幕下将軍(源頼朝)殊にその破壊を修復せらる。暫く顛倒の儀有るべからざる(解体してはならない)の由定めらるるの処、僕卿尼御台所(北条政子)の御夢中に入り示されて云く、吾(義朝)常に沼濱亭に在り。而るに海辺漁を極む。これを壊し寺中に建立せしめ、六楽を得んと欲すと。御夢覚めるの後、(三好)善信(三好善信)をしてこれを記さしめ給い、栄西に遣わさると。大官令(大江広元)云く、六楽は六根楽かと。

付近には見所多数

法勝寺の周辺には「鎌倉」ゆかりの場所を始め名所が点在しています。まず第一は行基菩薩によって724年(神亀元年)に開かれ、山全体が神嶽(こうのたけ)として修験道の霊場とされていた神武寺でしょう。それから、この法勝寺。さらに法勝寺を少しJR「東逗子駅」方面に戻ると、源頼朝の兄弟であり悪源太と呼ばれた源義平の菩提寺とされる光照寺があります。線路を挟んで法勝寺の向かい側には樹齢800年〜1000年という大銀杏がそびえる五霊神社もあります。
歴史を歩いていろいろな事を感じたいけれど、鎌倉はちょっと騒がしいかなという時、鎌倉からもう二駅下り東逗子駅で降りてみてはいかがでしょうか。

光照寺フォトギャラリー

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

寺と神社

前の記事

法勝寺
寺と神社

次の記事

五霊神社