櫓沢

やぐらさわ

語り継がれる頼朝伝説

富士の巻狩りの帰路、源頼朝は山梨・道志村を訪れ、櫓を建てて武道錬成を行いました。その櫓跡の下にあるのが櫓沢です。

櫓沢。

櫓沢。

エリアその他
住 所山梨県南都留郡道志村戸渡
櫓沢と道志村の源頼朝関連史跡。

櫓沢と道志村の源頼朝関連史跡。

源頼朝はこの沢の上から的様に向けて矢を放った

山梨県最東端の道志村には源頼朝の史跡が多く残されており、国道413号線、キャンプ場密集地として名高い「道志みち」沿いに点在しています。「櫓沢(やぐらさわ)」もその一つで、ドライブイン道を相模原方面に少し行った左側にあります。源頼朝は櫓沢の上に組んだ櫓から道志川を挟んで向かい側、室久保川の「的様」に向けて矢を射ろうとすると、大きな樫の木が的を遮りました。頼朝が樹木を睨みつけると、樫の木は枯れ、今でもその地域に樫の木は一本もないそうです。樫だけでなく檜・椹・椿・樫の4種という言い伝えもあります。室久保川の「的様」は、頼朝が的として使った跡が模様として現れています。

櫓沢。

櫓沢。

道志村は神奈川県相模原市や山北町と隣接し、広義には丹沢山地に含まれる道志山塊といわれる標高1,000m前後の山々に囲まれており、最高峰は御正体山(1,682m)。豊富な水量から道志川、相模川の水源を担う重要な場所です。行ってみれば村のキャッチコピー通り「水の郷」。豊かな山と川が否応なく自分を癒してくれます。

美しい道志山塊。

美しい道志山塊。

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鑑』によれば、源頼朝は建久4年(1193年)5月8日〜6月7日、富士野で大規模な巻狩を行いました。往復の行程についての詳細が記されていないため、道志村の名前は確認できませんでしたが、頻繁に狩りに出かけていた頼朝が道志村に狩場をつくったという言い伝えは素直に受けとれます。

地名は土地の記憶

櫓沢、櫓沢川、櫓が組まれた部落・櫓開戸、宿など、この土地には源頼朝の記憶がしっかりと刻まれています。TV番組でタモリさんが「地名は土地の記憶だ」と言っていたことも思い出します。櫓沢の近くに源頼朝が宿泊した「宿」という場所があり、今でも子孫の方が住んでいます。「宿」の近く、道志みち沿いに「ドライブイン宿」があり、なんとその子孫の方が運営されていました。たまたま食事に立ち寄り、運良く様々なお話を伺うことができました。800年以上前の「歴史」が今に繋がったようでした。

櫓沢。

櫓沢。

的様の由来

現地の説明板「的様の由来」を引用します。
「的様の由来
道志村の伝説の一つにこの室久保沢の的が挙げられる。昔頼朝公が富士の巻狩りの折、この地に標的を造り武道錬成のため矢を射ったと伝えられる。現在もここより四km離れた戸渡部落には的場として櫓を組んだ場所があり櫓開戸と呼ばれている。この一ノ的は涼水が勢いよく流れ落ちており、石英閃緑岩の一枚岩に鮮やかな三重の的を見ることができる。尚二ノ的、三ノ的は埋没し見る事が出来ない。

里人
この地に鎮守を祀り水の神的様を永久に尊崇し、毎年四月八日を祭日と定めて里人集い五穀豊穣を祈念する。
平成九年四月 道志村」

的様。

的様。

この的様を始め、頼朝が名刀の試し切りで真っ二つにしたという「試し切りの石」、突然駆け出そうとする馬を止めようと刀を突き立てた「試し岩」など、道志村に伝わっている頼朝の鬼武者ぶりは、筆者が様々に源頼朝について調べ、考えてきた頼朝の姿そのものである点も共感が持てます。頼朝は幼名「鬼武者」そのものの人。「貴族的で冷淡」などと源義経と対比させたイメージには強い違和感を感じます。ぜひ道志村に足を運んでみて下さい。

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