宿

やど

源頼朝が滞在したと伝わる民家

富士の巻狩りの帰路、源頼朝が滞在した民家。現在もその時の子孫の方がお住まいです。

道志村の「宿」。富士の巻狩りの帰路、源頼朝公が泊まられたと伝わります。

道志村の「宿」。富士の巻狩りの帰路、源頼朝公が泊まられたと伝わります。

エリアその他
住 所山梨県南都留郡道志村
道志村にある源頼朝関連史跡。

道志村にある源頼朝関連史跡。

富士の巻狩りの帰路、頼朝公が宿泊した民家

山梨県最東端の道志村には源頼朝の史跡が多く残されています。源頼朝は建久4年(1193年)5月8日〜6月7日、富士野で大規模な巻狩りを行いました。道志村では、源頼朝が富士の巻狩りの帰路、道志村に立ち寄ったと伝わっており、いくつかの史跡が点在しています。

「宿」もその一つです。道志村観光協会が発行している「源頼朝伝説」の解説がわかりやすいので、以下、引用します。
「頼朝公は、戸渡高櫓を造り、ここから一理(4km)も離れた室久保川の的を自慢の豪弓で射ました(室久保川にある的様は、その跡です)。この戸渡の地を的場といい、この側を流れる沢が櫓沢とよばれています。また的場上に頼朝公が泊まった家が残っており、屋号を「宿」といいます。また井戸川の水を使用したため、屋号を井戸川と名付けられた家も残っています。」

「宿」から望む大室山。

「宿」から望む大室山。

いまも、頼朝当時からの子孫が居住

「宿」は現在も民家として残っており、源頼朝が泊まった時の子孫の方が今も暮らしています。少し前まで茅葺きの大きな旧家でしたが、現在は改築されて茅葺屋根ではありませんが、昔の建物を活かして改築されており、巨大な梁など随所に昔の面影を残しています。ご好意で中も見せて頂いたのですが、個人宅として住んでらっしゃるため写真は控えます。

茅葺きだった当時の「宿」。

茅葺きだった当時の「宿」。

頼朝公が宿泊した時の子孫の方がいまもお住まいということには、随分と驚きました。道志村の景色がより魅力的に見え、日本人で良かったと大げさなことも思ってしまいました。

「宿」の方が、「宿」の集落を降りた道志みち沿いに「ドライブイン 宿」を経営されています。ここに昼食がてら立ち寄り、「宿」の場所を訪ねたら「それ、ウチだよ」といわれてびっくり。子孫であるお店の方に居合わせた地元の方もまじって、道志村の頼朝伝説について教えていただき、食事の後は「宿」へと伺いました。とても良い取材になりました。親切にして頂き、ありがとうございました。

ドライブイン 宿。

ドライブイン 宿。

お店はのんびりした雰囲気の中、山女の塩焼きやお重、馬モツといった地元の名物が食べられます。また、カレーやラーメン、そば、うどんなど、どれも資本の大きな店舗では味わえない手のかかった料理で大変美味しく、しかも価格がリーズナブルです。自分は訪れる度に、こちらで川魚の高級魚、山女の塩焼きを食べるのを楽しみにしています。

ドライブイン 宿。

ドライブイン 宿。

ドライブイン 宿。オペレーションとか、システムで作った料理では出せない味。美味しくてリーズナブルです。山女の塩焼きをいつも食べるのですが、いつも写真を撮り忘れます。

ドライブイン 宿。オペレーションとか、システムで作った料理では出せない味。美味しくてリーズナブルです。山女の塩焼きをいつも食べるのですが、いつも写真を撮り忘れます。

道志村は神奈川県相模原市や山北町と隣接し、広義には丹沢山地に含まれる道志山塊といわれる標高1,000m前後の山々に囲まれており、最高峰は御正体山(1,682m)。豊富な水量から道志川、相模川の水源を担う重要な場所です。行ってみれば村のキャッチコピー通り「水の郷」。豊かな山と川が癒してくれます。

道志村の景観。

道志村の景観。

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